2021年12月15日水曜日

喜び・感謝「自分史~挫折から信仰へ」

 

西伊豆・黄金崎

劣等感と優越感のはざまで

KGKで紹介された高田馬場教会は、高田馬場駅の近くにあり、日曜日には足しげく教会に通いました。尾山令仁先生のお話に心惹かれて、「なるほど良い事言うなあ」といつも感嘆させられました。

それで、聖書を本気で読むようになり、本格的に聖書研究を~教養ある人間形成の一環として、聖書研究は非常に結構だと考えていたのです。

実は、挫折したことが引き金で、大学入学後、予備校時代にもそうだったのですが、学生服の襟章(ツメ襟の所に大学の校章を付ける)が気になって仕方がありません。

電車、バス、道すがらすれ違う学生の襟章を気にし、優越感と劣等感のはざまで揺れていました。不合格だった大学の襟章を見ると劣等感を、それ以外であると優越感という私の心があることが分かったのです。

これは良くないことだと感じてもどうすることもできず、これが罪ということなのだろうかと思いつつー。

真理探究に没頭

当時の教会と言えば、狭く汚い教会堂でしたが、大学生の私には気にもならず、活気に満ちたその雰囲気に引き込まれていきました。日曜日の礼拝になると、狭い会堂はいっぱいになり、外で立って礼拝する人もいたほどです。

当時は、かなり厳しい理工学部の授業・勉強(実験とか演習があり、レポート提出があった)でしたが、大学の勉強よりも聖書の学びの方が面白く、多くの時間を割き、聖書の真理探求に没頭しました。

大学の授業があまり面白くなく、自分勝手に休講、授業をさぼったことを自戒しますが、勉強にはファイトが湧いてきません。一方で、教会には出来るだけ休まず通い、キリスト教関係の本をしっかり読みました。

理工系の学生でしたので、「キリスト教と科学は、矛盾しないのか?」と色々と研究しました。求道を続けるうちに、この天地を作られた創造主がおられる、目には見えないが神の存在を認めることが出来るようになりました。

人が人として歩むには?

神を信じてこの道を歩むという所までは至りませんが、「人が人として歩むには、この道しかないだろうな?」と感じていました。大学2年生の秋、教会新報に「キリスト教信仰は、私たちの何なのか」と題する主張が載っていて、それには考えさせられました。

イエス・キリストが私にとって何なのか?信じるとは何か?自問自答が続きます。そして、礼拝のメッセージで、「信仰をアクセサリーのようにして捉えて、それでいいのだろうか?」との問いが投げられました。

安曇野にて

信仰の決心そして確信を得る

「主に罪だと示された事を認め、悔い改めてこそ信仰である。教会でいくら奉仕をしたとしても、一番肝心のことが欠けていては、それは信仰ではない。」このメッセージには目が開かれました。

「私の救い主としてイエス・キリストを受け入れ、この方に従って歩むのが“人が人として歩む道である”。これに人生をかけて歩もう!」と信仰の決心をしました。

そのときは、罪ということはある程度わかりますが、自分がそれほど罪深い存在であるとは、思っていません。なぜなら、今までほぼ正しいことをしていると思っていたからです。

その後、しだいに理解が進んでいき、キリストが私の為に、私の罪の為に十字架にかかって下さったと、心から信じることが出来るようになり、信仰の確信を得たのです。

今にして冷静に考えて見ますと、ホップ、ステップ、ジャンプと3ステップで信仰の確信を持つに至りました。約2年間の求道生活でしたが、大学3年生の春に洗礼を受けました。

その時は、社会に出てもクリスチャンとして誇りを持ってやっていけると思えるようになり、内村鑑三が、「学生の信仰ほど、あてにならないものは無い」と言いましたが、そんなことは無いぞと思ったことです。

いつのまにか、優越感と劣等感のはざまで悩むことは、消えていました。本当に不思議なことです。2回続けての挫折は、その時には、感謝に変わっていました。

第一志望で受験した大学は、とにかく入学するのだというので選んだ学科で、あまり行きたくなかったのです。第二志望の方は、自分の適性も考えて選んだ学科(日本ではまだ少ない学科)で、ここが本当に良かった、助かった!と思いました。

私にとっての挫折は、私自身の小さな思いに過ぎません。ばらばらに思えるような人生の一つ一つの断片~第一の挫折は、第二の挫折につながり、やがて求道から信仰へと導かれて、つなぎ合わされていくことを知るのです。

挫折があればこそ、このような道へと導かれたのだと、本当に感謝しています。

「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られたものです。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」 (コリントⅡ 5:17)

2021年12月15日 小坂圭吾

2021年11月27日土曜日

喜び・感謝「自分史を書く(その2)~挫折について」

 

国宝・松本城

何か役立つことあれば

自分史を書くにあたり、大きく3つに分けて書いたと先に述べました。40歳の頃、“人生を3段ロケットにたとえて考える”のも面白いとの青写真があって、取り入れたものです。

第1段ロケットが、この世に生を受け大人に成長し就職するまでの時代(教育時代)、第2段ロケットが、仕事を通して社会に貢献する時代(第一の現役時代)、第3段ロケットが、第一の現役を卒業してより広く社会貢献をしていく時代(第二の現役時代)です。

「人生は、ロケットのようだ。1段目の噴射が終わり、2段目の噴射が終わったと思ったら、今、また3段目のロケットも点火して加速している。」と言われることもあります。確かに、次々と噴射がされて気が付けば、私も3段目のロケットを加速、今やかなり遅速になっています。

昨今は、時間と少しの経験がありますが、体力がなくなり、記憶もままならず、自分史を書いて、何か役立つことがあればと記述しました。証としてさらけ出すには、他の人には面白くないことも多く、少しは参考になるかなと思うことを中心に、挫折とか失敗等も含めて書いていきます。

楽しい小学校、中学校時代

自分史を書いてみて、小学校から中学校時代は、誠に楽しい時代だったなと思い出されます。岡山県の田舎に育ちましたが、周りは山と田んぼと畑、池と川ありで、小学校時代と言えば、いたずら坊主でガキ大将でした。近所の友達と、川や池で魚とりや水遊び、畑や田んぼで走って、村のそこかしこで遊びまわりました。

村の公民館で、習字やそろばんを習ったこと、時々映画が上演され、熱でフイルムが切れたことを思い出します。小学校時代はあまり努力をしなくても勉強が出来ましたので、学校の先生からの勧めもあり、岡山市のM中学校に行くことになりました。実は、もぐり入学(越境入学)だったのです。

家からバスを使って約1時間かけて通学、喜び勇んで学校に通いました。M中学校は、県下一と言われる中学校、この3年間は、今までで一番勉強したように思います。3年生の級長の時、学校体育祭で学年ごとに学級対抗戦が行なわれ、対抗競技ごとの総合成績で一番になろうと団結、見事に12クラス中で優勝しました。今で言うチームワークの大切さを学んだ時でした。これまた楽しい中学時代でした。



紅葉の松本城

一転して挫折

しかし、高校受験が迫ってくるある日、“越境入学”の摘発を岡山市・教育委員会が行なったのです。県下一の中学校なので、優秀な子供が色々な地域から越境入学してくる。そのために、地元の子供が目指すべき高校に入れなくなり、地元のご両親たちが訴えて、越境入学した子供は、本来親が住んでいる地域の高校に行くように指導を始めたのです。

このため、地元のS高校に行かざるを得なくなったのです。これは大きなショックで、第一の挫折でした。地元の高校へ行かざるを得ない3年間、心なしか勉強に身が入らず、挫折が影を落としていて、ただ「大学は何が何でも一流大学に行く!」ことにしか目がいきません。最初の大学受験では、目指す大学は不合格、浪人となり予備校へ行くことになったのです。

予備校での成績は良く、今度は間違いなく合格と思って受験をしましたが、第一希望は滑ってしまい、第二志望の大学に行くことになりました。続いての第二の挫折です。

大学入学のために上京しましたが、重い足取りでした。入学式も行く気にならず、母から一生に一度のことだから行くようにと言われ、夜行列車を乗り継いで、何とか入学式に間に合いました。

大学に入ってまずやったのが、聖書を研究しようとそのクラブ活動を探し、キリスト者学生会(KGK)のキリスト教講演会に出席したのです。講師の尾山令仁牧師が切り出しました。「君たちは有名大学に入り、やがて就職して、立身出世をしていく。だが、それだけが人生だろうか?この大学時代で最も重要なことは、人生とは何か?を考えることである。真実の生きた神様を知ることである。」と声高に話されました。

最後の言葉は、よく覚えてないのですが、「なるほど、その通りだ。切れ味も良く、素晴らしいことを言うなあ!」と即座に、この先生の教会に行ってみようと決心しました。高田馬場教会を紹介してもらい、毎週日曜日に教会に通い始めました。挫折の続いた事柄が、ここから一転歯車が好転していくことになりました。

「天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」(イザヤ書55:9)

挫折と考えることは、私自身の小さな思いに過ぎず、ばらばらに思えるような人生の一つ一つの断片が、やがてつなぎ合わされていくことを知るのです。

 2021年11月27日 小坂圭吾

2021年10月18日月曜日

喜び・感謝「自分史を書く(その1)」

 

芦ノ湖と富士山(恩賜箱根公園より)

PDJブログを書き始めて2年目の頃

20099月、PDJブログを書き始めて2年経過した頃です。ブログの中で、自分の証しも随所に書いていますが、まとめて自分史を書く必要を感じ、始めることにしました。その時の目的は、自分史をまとめることで、子供や孫に信仰の証とか教訓を残せたら良いかなとの思いが強かったと思います。

教訓となると、成功話よりも失敗話の方が面白いであろう、いやなことも出来れば赤裸々に書こうと考えました。1年くらいで書けるだろうと始めは気楽でしたが、どうしてどうして、そんなに簡単には進みませんでした。

手帳や日記帳、写真帳をめくって調べていくと、記憶と違うことも出てきますし、これも書くかなとなってくるのです。34年経過して一時中断。何度か中断をしましたが、再度、再々度と書き続けることが出来ました。

気が付けば10年も経過して、とにかく喜寿までには書き上げようと励み、この9月にともかく最低の区切りまでを書き終えました。

人生は3段ロケット

40歳代の頃、人生を3段ロケットにたとえて考える“ということを学び、そのような青写真が何となく自分の頭にあった様に思います。それで、自分史を書くにあたり、大きく3つに分けて考えました。

第1段ロケットが、この世に生を受けて親の庇護の元で育てられ、教育を受けて一人前の大人に成長するまでの時代(大学卒業して就職するまで)、第2段ロケットが、仕事を通して社会に貢献する時代(第一の現役時代)、第3段ロケットが、第一の現役を卒業してより広く社会貢献をしていく時代(第二の現役時代)です。

40歳の頃は、この3段ロケットでよかったと思いますが、今や人生100年の時代になって、もう一段のロケット~第4段ロケット(第三の現役時代)もありかなと考えています。ということで、第3段ロケット(第二の現役時代)を喜寿(77歳)までとすることにしました。

顧みますと、第一段ロケットを、そして第2段ロケット、第3段ロケットを自分の努力というよりも、神様の導きの中で順調に打ち上げたように感じます。

自分史を書く目的

自分史を読んでもらう対象は誰かについてですが、妻と子供、孫とその周りの人々を念頭に置いて書くことにしました。自分の証を書くのですが、それを公に出すには、何かしら取り繕うこともせざるを得なくなり、真実であっても読まれた方に不愉快な思いを与えることにもなり、公には出さない方針で進めました。

書く目的については、第1に、自分の生きた証を残すことです。子供や孫たちにとって、後になって少しでも役立ってくれればと願います。第2に、自分史を書くことによって、「今後の生き方」が見えてくる、大いに考えることにつながっています。今後の生き方については、色々な区切りで「主なる神は、何をさせようとしておられるのか?」と考えてきましたが、どうするかが少しずつ見えてきています。

今後について、第4段ロケットを打ち出したいのですが、出来るかどうかわかりません。飛び出しても燃料が切れて落ちるのかもしれません。華々しいロケットではなく、ドローンを飛ばすくらいが分相応かなとも思います。

3に、コミュニケーションを深められることについてですが、親子、孫とのコミュニケーションの多い家族ですが、自分史という題材も使って、今後大きくなることを期待しています。

作ることが楽しい~謙遜な思い

私の時は?

自分史を書くのに既に10年余も経過していますが、これから妻に、息子に世話になりながら、推敲を重ねていきますので、まだまだ時間がかかります。形になってきますと、作ることが楽しいものだと感じます。

写真もどれにするか、アルバムを整理しながら、選ばねばなりません。その一方で、自分がこの世に生を受け、人間形成をさせられて、その役割を果たしてきた道筋を顧みると、自分が努力したことは、ほんの少しだったなと思わされます。

神様にお膳立てをしていただいて、やったことがすべてであったのだと思わされるのです。自分が生まれてきたことから始まり、小坂家という家族かつその親族の中で育てられーーー書き出したらキリがありません。

そのように謙遜な思いにさせられるのは、自分史を書いたからこそのことでありましょう。神様を信じればこそ、その恵みが鮮やかに見えて、この思いが出てくるので感謝なことです。

 「私の時は、あなたの御手の中にあります。」(詩編3115節 現代訳)

 2021年10月18日 小坂圭吾

2021年9月23日木曜日

喜び・感謝「新しく力を得る」

 

翼を広げる鷲

コロナ禍での交流

コロナ禍「第5波」の緊急事態宣言が続いていますが、急速に感染者が減ってきていることは、うれしいニュースです。厳しいコロナ禍にあって、3密を避けてのオンラインによる礼拝、ラインやZOOMを使っての会議や交わりが、ほんとに定着しましたね。

この数か月間、我が家では、横浜・川崎、東京、バンクーバーとそれぞれの地で暮らしている家族と、色々と交流・交わりをしています。日曜日の礼拝については、参加した礼拝の要約をメールかラインで送り、その反応がやりとりされます。

何かイベントがあれば、写真・動画を撮ってコメントを付けてラインで送信です。声による励ましが送られてきて、ありがとう!の返事もできます。定期的には、ラインで顔と顔を合わせて話をしますが、これらをうまく使うと、リアル以上の交わり・交流が出来て感謝です。

新しく力を得る

最近読んだ本に『積極的考え方の力』(ノーマン・・ピール著)があります。その中に、エネルギーの源について書いてある箇所が目に留まりました。フランク・ヒラーというメジャー・リーグの選手が、高熱があったにもかかわらず、試合に登板して、余力を残して完投したというお話です。

試合後には、体重が減るほどだったが、試合中、失われつつあるエネルギーを取り戻すために彼がやったのは、聖書の1節を繰り返すことでした。

「主を待ち望むものは新しく力を得、鷲のように、翼を広げて上ることが出来る。走っても力衰えず、歩いても疲れない。」(イザヤ書 4031節 新改訳)

彼はピッチャーマウンドにいるときに、この節を暗唱することで力を取り戻して、完投したのです。彼は、「エネルギーを生み出すために、力強い考え方を頭に送り込んだ」と説明しています。

信じる気持ち次第で、エネルギーを増すことが出来るのです。この本の著者は、ニューヨークで50年にわたって牧会している牧師であり、共感を覚えながら読みました。

この個所を読んだ時、これだという聖句を繰り返して暗唱することは、とても力を与えられることを思いだしました。その日の朝、ミニストリーの奉仕で東京に行かねばならず、上記の暗唱聖句を、その日実行することにしました。

実は腰痛が3週間以上も続き、色々と難渋していましたが、繰り返し聖句の暗唱をしました。(昨今は記憶力も悪くなり、何回も繰り返しが必要です。)1日経過してみると、守られていたことにほんとに感謝しました。

エリック・リデル

『炎のランナー』エリック・リデル

1年延期されたオリンピック、パラリンピックは、様々な批判と困難を乗り越えて開催され、日本としての責任を立派に果たしました。日本人選手たちの目覚ましい活躍にも、力をいただきました。

このような時、忘れられないのが、かつてオリンピックという舞台で素晴らしい証をしたスコットランド初の金メダルリスト「エリック・リデル」です。彼の活躍は、アカデミー賞(作品賞)受賞映画『炎のランナー』に描写されています。

エリック・リデル (Eric Henry Liddell19021945年)は、イギリスの陸上競技選手として1924年パリ・オリンピックの100メートル競争に選ばれました。競技の日が日曜日、彼は敬虔なクリスチャンで「日曜日は礼拝の日として守るべきである」と信じていたため、競技に出場することをためらい、苦悩の末に不参加を決意。

優勝を期待していた英国の民衆から非難を浴び、マスコミに酷評されます。彼は400メートルに出場し、47・6秒という世界新記録で優勝、この記録はその後20数年間破られませんでした。こうして、「スコットランドスポーツ界の裏切り者」が、「スコットランドの英雄」に返り咲きました。

「勝利の秘訣は何ですか?」と質問され、「前半は自分で精いっぱい走り、後半は神の助けでもっと速く走ります」と答えています。その後の彼は、アスリートとしての栄光を捨て、23歳の若さで中国への福音宣教に旅立ちます。

天津を中心に20年近く福音を伝えて、戦火が激しくなり捕虜として収容され、1945年に病死しました。獄中においても福音を伝え続けたエリックは、与えられた人生のすべての行程を走り尽くし、天国に召されました。

エリック・リデルには、どこからそんな力が湧き出てきたのでしょうか。彼の偉業は、すべて「神を第一」とする彼の信仰から、主なる神様からくるものです。彼は自分の力ではなく、主を待ち望み、主の力によって走り続けたのです。

主を待ち望み新しく力を得て、翼を広げて上り、走っても衰えず歩いても疲れない。私たちも、エリック・リデルのように主を待ち望む者でありたい、天を仰ぎ、そこから湧き出る主の力、聖霊の力に満たされて、走り抜きたいと願います。 

2021年9月23日 小坂圭吾

2021年8月6日金曜日

今を生きる「目標を持つ~東京オリンピック、努力と節制」

 

東京2020オリンピック・開会式

東京2020オリンピック                           

東京オリンピックが、コロナ禍にある中で開催されましたが、様々な心配がなされ、現実になろうとしている面もあります。連日のように続く日本人選手の大活躍、メダルの獲得に喜び、励まされている方も多いことでしょう。

賛否両論ある中、日本の都合でやめるべきではないと思った一人として、開催してよかったと思っています。

NHKテレビでは、オリンピック放送アスリートナビゲーターに北島康介さんが出ています。確か2008年北京オリンピックで、北島康介選手(25)は、男子100メートル平泳ぎ決勝で世界新を出し、2大会連続の金メダルを獲得しました。

金メダルを取った最初は、「チョー気持ちいい」のコメントでした。北京オリンピックではテレビカメラの前で、タオルで顔をぬぐい、しばらくタオルを顔に押し付けたまま動かず、目に涙で声が出ず!「すいません。何も言えねえ。最高っすね。」止まらない涙をふきながら、一言ひと言を区切るよう話してくれました。

北京オリンピック・北島康介選手
超人と言われる北島選手でしたが、挫折や故障がある中で、いくつもの逆境を乗り越えてきたのです。~~素直に努力する姿勢、子供たちと一緒に泳ぎ水泳の基本を教える中で、子供たちから最高の元気をもらって感動、復調したと記憶しています。

今回も全てのオリンピック選手たちは、夢と希望を持ち、4年に一度しかないオリンピックに向け、挫折や故障、プレッシャーと闘いながら、具体的な目標に向かって大変なトレーニングに励み大会に臨んでいます。

夢と希望と目標 

夢とは何でしょうか?いちばん遠くにあり具体性がなく、叶えたいけれど手が届きそうにないものかもしれません。希望とは?夢よりも近いが遠いもので、夢よりも具体性はあるが漠然としているものです。

目標とは?夢や希望と比べて身近なもので、具体性があり、達成のために課題を設定して取り組めるものです。壮大さで言えば、夢>希望>目標となり、現実的に言えば、夢<希望<目標となります。

松下幸之助が、あるとき“あなたの趣味は何ですか”と聞かれ、「私には趣味はないですな。しいていえば、夢が趣味ということになりますかな。」と答えたそうです。その彼が、夢と現実について、このような言葉を残しています。

「夢や希望を持つことが大事だからといって、それにとらわれて、みずからの立場なり現実の社会というものを忘れてしまってはいけない。それでは夢があくまでも夢のままに終わる。

けれども、われわれは現実に照らして一段高い目標を定め、これにしたがって日々の仕事を着実にすすめてゆくならば、その夢がしだいに現実化してくるのだと思う。

また、そういうところに人生の喜びというか、いわゆる生きがいというものを感じることができるのではないだろうか。」

努力と節制

オリンピック選手たちは、その夢、希望、目標は明確であり、それに向かって一生懸命努力し、あらゆることに節制して励みます。厳しい自己訓練をし、無駄な事を排除し栄冠を勝ち取るためにやっているのです。途中で挫折や故障も乗り越え、挑戦してきています。

この状況から、あのパウロの生き方について、次の聖書の御言葉が思い起こされます。

「優勝するためには、あらゆる努力を払って節制する。地上の競技においてそうするのなら、まして、天国の競技である信仰生活においては、なおさらではないか。だから、私は目標の分からないような走り方をしないし、無駄なことは一切しない。私は、競技の選手のように、厳しい自己訓練をする。」(コリント 9:25-27 現代訳)

夏の芦ノ湖

パウロは、コリント教会の人々の信仰生活について、安易に過ぎていることを見て、コリント人が熱狂する陸上競技を取り上げて教えています。

競争して賞を受けられるように走るとは、天の父なる神様に喜ばれるために、最高の信仰者を目指して走るということです。目標は、天国に行くまでキリスト信仰を持ち続け走ることで、そのためには、あらゆる努力と節制を心がける必要があります。

霊肉共に健全で病気にかからない生活習慣、積極鍛錬に励む~聖書を読み、祈る、神の御声を聞いて従うことだと思います。

私たちは、天国に向かって走っている者です。毎日の生活の中で、日々神を敬う生活を送る、目標を見失わず、一番大切なことに集中し無駄なことを取り除き、走り続けたいと願います。

 2021年8月月6日 小坂圭吾

2021年7月16日金曜日

喜び・感謝「キリシタン・黒田官兵衛~父なる神の許し」

 

黒田官兵衛

軍師・黒田官兵衛                               NHK大河ドラマ・『軍師官兵衛』(2014年)を見られた方も多いのではないでしょうか? この大河ドラマは、初めて黒田官兵衛を主人公として描かれ(主演は岡田准一さん)、官兵衛の幼少時代から始まり、信長に認められ、秀吉に愛され、家康に一目置かれる存在となる官兵衛の波乱の人生を描いています。

戦国時代が舞台の大河ドラマに、必ずといっていいほど登場する豊臣秀吉をして、「次の天下人」と恐れさせたのが天才軍師・黒田官兵衛と言われています。

過去の戦国もので、官兵衛が登場した大河ドラマはいくつもあり、官兵衛を主人公に据えたことは、その生涯を描くだけのエピソードや魅力に富んだ人物だったということです。

彼は、能力だけでなく人間的にもとても優れていた人物であり、戦国の乱世を終わらせるために時代が必要とした軍師だったわけです。

キリシタン・黒田官兵衛                            黒田官兵衛については、「キリシタン・黒田官兵衛」(雑賀信行~さいかのぶゆき~著、雑賀編集工房)を読み、理解を新たにしました。

キリシタンとは、16世紀以降明治まで行われた日本におけるキリスト教(カトリック)またはその信徒の総称です。

この本では、戦国武将ならではの活躍はあまり言及しないで、キリシタンとしての側面を掘り下げています。

実は、官兵衛がキリスタンだったという史料が非常に少なく、そのようなものを残せば、キリシタン禁制の時代において余計な災いを招くと、黒田家により廃棄・抹消されたであろうと思われます。この本の著者は、それを掘り起こして書いています。

官兵衛が神を信じたのは、織田信長が豊臣秀吉に「中国攻め」を命じて、秀吉の参謀として活躍していた時です。有岡城主・荒木村重が、謀反を起こし、その説得に単身乗り込みますが、土牢に幽閉されます。

そこで見た藤の花が、官兵衛にとって「救い」となり、神を信じるに至ったと言われています。  

神を求める                                    黒田官兵衛は33歳でしたが、その4年ほど前、高山右近と出会います。キリスト教について話を聞き、右近からキリスト教についてやさしく説いたものを贈られ、宣教師からの話も聞き、思いを巡らしたことでしょう。

彼の求道中に、謀反に出会って狭い土牢に閉じ込められ、身動きもままならず、最低限の食物を与えられるだけで、いつ解放されるかもわからない生き地獄の中で日々を送ることになったのです。  

「なぜ、こんな目にあったのか?まったく何もできない!!妻、父母、人質の息子はどうなるだろうか?秀吉様、信長様はどうしているのだろうか?これで終わりだな?

それにしても、謀反を起こした者への対処が甘かったなあ。謀反を裏で糸を引いていたのは、私の主君である小寺政職だったとは?何とも悔しい、悲しいことだ。」 

藤の花

悶々とした日々が続き、堂々巡りの思いを巡らしたことでしょう。そんな官兵衛にとって、励ましとなったのが一房の「藤の花」だったのです。

その美しい可憐な花に勇気づけられて、天地の創造主の存在、誰に見放されても神様は見守って下さると生きる望みをつなぎ、神の存在を信じることが出来たのです。

更に多くの宣教師やキリシタン信者の話を聞き、時が来て救いに至ったのです。それからの官兵衛は、軍師そしてキリシタン大名として更に大きな活躍をしました。

秀吉によるキリシタン宣教師追放令が出されますが、彼は、最高権力者である秀吉の圧力に屈することなく、キリスト教信仰を生涯守り生き抜いたのです。            

父なる神の許し                                  私たちの人生において、苦難と言われることは、必ず襲ってきます。人生は、問題の連続です。人生がうまくいっているときは、イエス様の教えや、神様のことを知っている、そのように生きているつもりになっています。

しかし、苦難を通してでなければ、深く神様のことを知ることは出来ないとも言えます。苦難と言えば、ヨセフが牢屋に入れられる、ダニエルがライオンの穴に、エレミヤが泥の穴に投げ込まれる、パウロが難船に3度も遭う等、聖書にはあります。

父なる神は、これらの事をあえて許されたのは、苦難を通して彼らが神と親しくなるためです。自分ではなく、神により頼むようになるのです。神が主権を持っておられるので、思いがけない不幸な出来事さえも、神のご計画の中で起こっていることです。

どのような状況にあっても、そうした悪いものから良いものを引き出してくださる、益として下さる神様です。父なる神に期待し、忍耐をもって前進し、喜び、感謝しましょう。

「神がすべての事を働かせて、益として下さる。」(ローマ8:28)

2021年7月16日 小坂圭吾                      

2021年6月17日木曜日

今を生きる「無くてならぬものは多くはない」

 


梅雨入り~傘の日

614日、関東甲信地方が、梅雨入りしました。少し遅れての梅雨入りで、さわやかな日が続いたのは、感謝なことです。611日は傘の日だそうですが、日本洋傘振興協議会が、梅雨入りを表す入梅(にゅうばい)に合わせて制定したのです。

日本洋傘振興協議会によると、日本での傘の消費量は、年間で12000万本〜13000万本! (この数字は世界一とか!)人口換算しますと、1人・年間1本ですね。

私の場合、せいぜい5~6年に1本かなと思います。数年前に、息子が置いていったビニール傘、小さく軽くて便利に使っていたのですが、スポーツセンターに置き忘れて、後日行きましたが、ありませんでした。

先月、手軽で使いやすいので初めてビニール傘を買い求めました。どこに売っているのか?コンビニにはなく100円ショップにあり、値段を聞いて100円、驚きました。このビニール傘ですが、しばしば電車の中やホテル、駅の中に忘れられる、捨てられている光景を見ることがあります。

風雨の強い日に壊れ捨てられた、オフィス、スポーツセンターの傘立てに溜まっている、忘れ物や落し物として回収され・・・。ビニール傘は、安いのでまあいいか!となりがちですが、これぞもったいないことです。エコにつながる小さなことですがー。

エコの時代

昨今「エコ」という言葉は、十分に定着したかの感があります。日々の生活でしばしば「エコ」という言葉を耳にし、何となく「環境」「省エネ」といった言葉と結びつきます。

エコだ、エコバッグ、エコカー、エコカー減税・・・そもそも「エコ」とは?調べてみました。「エコ」という言葉は、「ecology」エコロジー (生態学・自然環境)という英単語の略称で、現在では「環境にやさしい」という意味で使われることが多いようです。

「エコ」と言えば、10数年前のエコ買い替えの思い出(?)があります。エコ買い替えキャンペーンが日本全体で行われ、やや抵抗感がありました。「無理をしてまだ使えるものまで買い替えたら、もったいない。廃棄物がたくさん発生する。使い切ったものを買い替えるのは良いが・・。」

その当時、リビングのエアコンを買い換えるかどうか、新しい製品は、電気使用量が少なくエコになっている、ここで買い替えると廃棄物になることの狭間でした。10年をとっくに過ぎていれば、製品としての寿命は十分使い切ったなと思い決断しました。

当時エアコンといえばMメーカー品といわれたもので、17年間トラブルなし。工事した電気屋さんも「聞いたことが無いくらい長く使いましたね。」のコメントでしたが、「もったいない」の観点は、重要だなと思ったものです。

無くてもよいものは減らす

今月になって、家人がいろいろと断捨離を始めました。少し物を減らそうと考え、いらないものを見つけて、捨てたりリサイクルショップに出しました。物というのは、整理整頓をしてもどんどん溜まる一方になりがちです。

私も刺激されて、物置き(1坪ほど)の整理をしました。56年前までは、必要だろうと思っていた物、もったいないから置いておこうと思った物、その間全く使うこともなかったことがわかり、家人も不要だと言うことで、ごみに出すことになりました。かなり整理して、すっきりしました。

季節の変わり目ですから、クリーニングに出そうと考えました。すると、家人が「それは、クリーニングに出さなくても、家で洗濯できるよ!」と言い出しました。もう何年もこの季節になるとクリーニングに出していた物ですが、考え方を変えて、家で洗濯しました。これは、大変なエコになりましたね。

私たちの生活は、意外と無駄なことをやっていることが多いものです。時間で言えば、20~30%は、無駄なことをやっていると言われます。

止めた方が良いこと・やらなくて済むことをやっている/今までの流れで(習慣で)やっているが、違うやり方をするともっと良いことがある/物を減らすと不便に思えても、慣れるとそれはそれで良いことがわかる等々。

要は、暮らしの中で不必要なものを見つけて、無くても良いものは減らすことです。おもてなしで色々と思い煩っていたマリヤの姉マルタに、イエス様が言われた言葉を思い起こし、シンプルな生活になればと願います。 

「無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。」

(ルカ10:42 口語訳)

2021年6月17日 小坂圭吾

2021年5月15日土曜日

祈り「思い煩いを神にゆだねる」

 

横浜・山下公園(横浜ローズ・ウイーク)

海外ドラマ「ザ・クラウン(The Crown)」

全国的に新型コロナウイルス「第4波」が急拡大し、緊急事態宣言の地域の拡大と期間延長がなされました。長きにわたる巣ごもりを余儀なくされる中、Netflixの存在を知り、評判のよい海外ドラマ「ザ・クラウン(The Crown)」を引き込まれるように見ました。

実際の英国王室を忠実に再現した実話に基づくヒューマンドラマで、25才の若さで即位した女王エリザベス2世は、今なお大きな影響力のある英国史上最高齢君主で、その素顔を浮き彫りにしています。

制作費は100億円以上、宮殿内部や衣装の細部までこだわりが感じられます。分けても、戦後間もないイギリスの政治・外交の動きがつぶさにわかり、歴史を俯瞰して「そうだったのか!」と目が開かれるものがありました。

40編を3か月かけて見ましたが、政治・外交における英国君主としての立場と、家族や夫への想いとの間で悩みながら、立派な女王へと成長していくドラマを楽しみました。

ドラマゆえの脚色はあるとはいえ、この君主としての凛とした立ち振る舞いは、次々と起こってくる問題に対して、とても使命感が無ければできることではないなと思わされます。

50年以上もその役割を果たしていることに驚きを覚え、閉ざされた王室の中で、彼らは問題を抱え、どれほど悩んだことでしょう。私たちも同じです。

信仰を持ってがんばる

人生の中で色々と起こってくる問題、「嫌だなぁ~。辛いなぁ~。苦しいなぁ~」等の思いが起こり、ともすれば弱気になってしまう自分があります。「もういいよ」「投げ出しちゃえ~」とささやきかけるもう一人の自分、誰もがそんなもう一人の自分に打ち克とうと努力したことがあるはずです。

「嫌だ、辛い、苦しい」等と思うこと全て自分自身であり、そんな弱い自分を認めることが、自分自身に打ち克つことのできる出発点のように思います。『自己と戦い打ち克つ』~~これを私たち日本人には、”なにくそがんばると言う姿勢なのかもしれません。

ともかく、一生懸命、一心不乱にまず打ち込んでみることだと、私の若い時代ですが、クリスチャンとして信仰を持ってがんばることを強く教えられたものです。私も少なからず、信仰をもって努力する、がんばることをしてきました。

がんばりのDNAを持った日本人クリスチャンは、“信仰を持ってがんばる”と言いながら、いつのまにか「とにかくがんばる」姿に変わっていることがあります。とかく陥りがちな私たちの姿で、色々なことが気になり、心を配り、とにかく遣り抜こうとする姿です。

素晴らしいことですが、神さまとの関係を見失い自分中心になっている姿に変わっているかもしれません。がんばり過ぎてやがて疲れ果て、忍耐もできず「もうがんばれない」となるのです。



思い煩い~神にゆだねる
体力と気力があるときは、信仰に持ってがんばることで何とか切り抜けることは出来るかもしれません。その過程においては、色々な問題に葛藤し、悩み、不安になり、それを乗り越えていくことになります。

問題が多いと思い煩いもまた多くなります。私たちは、思い煩うことの名人と言っても過言ではなく、何とか自分でがんばることから脱却したいと思うようになります。神にゆだねる事が必要だと気づいてくるのです。

「神様、これを何とか切り抜けることが出来るよう力をお与え下さい!」この祈りしか出来ないのですが、次第にどうすればいいのか少しずつ分かってきます。

「神様、いま思い煩いでいっぱいで、いらいらしています。あの事、この事、色々とどうしようかと不安です。どうしたらいいのか、必要なことを教えて下さい。」

真剣に今の状況を祈ることだと少し分かって、聖書を開いて読んでいると、今の状況にふさわしい聖書のみ言葉が飛び込んできて、神にゆだねようとなるのです。そうすると、イライラ、不安が解消してくることに気づきます。

「成るしかならないのだから、今はこれだけをやる。あとのことは、神様が最善にしてくださるだろうから、その時になって、祈って考えるようにしよう。」

このようにかなり訓練されてきましたので、失敗もありますが、自分でがんばり過ぎないで、神にゆだねることが少しずつ出来るようになりました。とても心穏やかな信仰の道かなと思っています。 

「何も思い煩ってはいけない。思い煩うことがあれば、どんなことでも、それを聞いてくださる神に、感謝の心を持って申し上げるがよい。」(ピリピ4:6 現代訳)

2021年5月15日 小坂圭吾

2021年4月8日木曜日

今を生きる「肉の消費量を減らし地球温暖化防止」

 

借景(お隣の桜・満開!)
桜が満開

今年は、日本の多くの地域で桜の満開時期が早まり、観測史上もっとも早い満開となりました。我が家では、お隣に大きな立派な桜の木があり、借景をさせていただき、昼食を食べたり、コーヒーを飲みながら楽しんでいます。

京都地方気象台は326日、桜の満開時期を迎えたと発表。日本気象庁が観測を開始した1953年以来もっとも早いとのこと。大阪府立大学の生態気象学研究グループは、京都御所の資料、日記、詩集などの花見に関する記述を調査し、桜に関する最も早い記録は紀元812年であることを発見しました。

その中で最も早かった満開日は327日で、1236年と1409年、1612年の3回が記録されている。近年、桜の開花時期が早まっているのは、「地球温暖化の影響を受けた」可能性が高いと科学者らは指摘しています。

桜の開花時期のデータは古くから記録があるため、非常に価値が高いとされています。

地球温暖化
この数年を振り返ってみますと、春らしい穏やかでさわやかな日がかなり少なくなりました。5月には夏日(25以上)になることも早く、衣替えといえば6月との意識が、5月の連休から半そで姿になることもしばしばです。


地球温暖化の原因は、二酸化炭素(CO2)など地球の温度を暖める「温室効果ガス」が増えたことです。18世紀後半に英国で始まった産業革命で石炭など化石燃料の使用が急に増え、CO2排出が増加したのが、地球温暖化の始まりです。

現在の状況はと言えば、産業革命前に比べてすでに気温は約1度上昇しました。これにより、極端な大雨や寒波、干ばつなどの異常気象や氷河や氷床の減少による海面上昇など、温暖化の影響と考えられる被害が起こっています。

日本では、大型台風が直撃する頻度が高まり、オーストラリアや米カリフォルニア州では異常乾燥による山火事が頻発し、北極や南極の氷床は、びっくりするほど減少しています。被害を伴いながらの地球からの警告は、他人事ではなくなっているのです。

私たちに出来ること

地球温暖化の主要な原因は、「人類による活動そのものにある」と言われています。今や待ったなしの地球温暖化対策が行われていますが、“人類による活動”~豊かさや便利さ、快適さを求めて、様々な開発がなされてきたことによる人類のつけが回ってきた、と言っても良いのではないでしょうか。

それを享受していた時は、それほど悪いと思っていなかったことが、積み重なって悪影響を及ぼしていたのです。温暖化の悪影響を小さくするには、二酸化炭素など温室効果ガスの排出量を少なくするしかありません。

私たちの身の回りでは、このための色々な活動が行われています。冷暖房の温度を控えめに設定/自家用車の使用を控えて、バスや鉄道を利用/自家用車のアイドリングストップなどの「エコドライブ」/レジ袋に代わってマイバッグなどを携帯する等々です。

肉を食べるのを減らし地球温暖化を防止

最近読んだ以下の記事には、大変驚きました。

「肉の消費量を減らせば、地球温室効果ガスを効果的に減らせる」~その内容は、家畜の牛などは、温室効果の高いメタンガスを多く排出し、食肉産業による牧場づくりのためのアマゾン森林帯等の伐採(7080%が消滅)が進み、飼料や肥料の生産や輸送などで排出する温室効果ガスの排出量は、全体の18%が畜産業関連と言われています。

この割合は、自動車などの輸送機関で生じる温室効果ガス13%を上回るのです。このようなことから、欧米では、「週に一日肉を食べないことで地球温暖化を防止させよう」との運動が、10年ほど前から広がっています。

私はと言えば、魚野菜中心の生活で肉を食べることは少ないのですが、健康面だけでなく、地球温暖化を防止する最も効果ある食事法として、周りの人たちにも勧めたいと思っています。

私たちの日常生活は、豊かで便利で快適な暮らしとなり、それらを享受してきました。地球温暖化によって、それらの軌道修正をしています。肉を食べることについては、日本人の寿命が大きく伸びた一因とも言われ、おいしい食べ物でもあります。

一方で、世界的には温暖化に影響大であったとは、つゆ知らずの事でした。それを少しだけ食べないことによって、地球温暖化防止に大きく貢献できるのです。それと分かったときに、修正して行動するしかありません。少し視野を広く、深く、高く持って、行動できればと思わされます。 

「この地上で、将来何が起こるかということを、見通すことのできる者はいない。」(伝道者の書 712節 現代訳) 

2021年4月8日 小坂圭吾