横浜・山下公園
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毎日練習する
長い間水泳をやっている孫のA子(中学2年生)が、いつのまにか県大会出場から全国大会出場するまでの実力になりました。彼女の母親が、水泳好きな事が引き金となり、習わせ始めたのです。子供4人すべてに習わせましたが、そこは得て不得手があり、A子が適正もあったのか、練習熱心で手抜きをしないでやるそうで、コーチも目をかけて腕がぐっと上がったそうです。
彼女の日課を聞くと、毎日しかも朝晩と練習する、休む日は、年間数えるほどしかなく「こりゃ大変だ!」と感じます。別に苦しいとか大変だとかの言葉は無く、さらりとやっているように聞こえます。この一事を通して、何か大切なことを身につけているのだろうと思わされます。
定期的にやり続ける
スポーツというのは、週にできれば2回以上定期的にやり続ければ、体も出来て上手になるのだ、と中高年になりやっと知りました。ストレッチも、毎日やれば着実に体が鍛えられることも、数年前から実行して実感したものです。それまでは、やる日もあれば、忘れてやらない日もあり、今は、朝起きて10分間欠かさず実行しています。
ある時、習字を長年習いかつ子供たちにも教えている家人に聞いてみました。「習字は、あるレベル(師範)に達しても、毎週練習をし続けなければだめなのかな?」「そう継続してやり続ける必要があるのよ。毎回、墨をすり練習をして後片付けをする。これは大変だけど、続けないと実力はすぐに落ちるのよ。」続けないと力が落ちることは、どのような道も同じなのですね。
数年前から、「囲碁」を習い始めましたが、その中で教えられたのが小林覚九段(今までに1000勝以上達成)の言葉です。「勉強しても強くなる保証はない。勉強しなければ、確実に弱くなる。」この勉強する、努力する、続けることは、あらゆる分野、道に通じる事柄のようです。
生活の最優先事項
私たちクリスチャンにとってやり続けるべきこと、毎日の生活の最優先事項は、“デイボーション(静思の時)”です。私たち人間は、創造主なる神と交わりを持ち、対話し、意思疎通を図ることができるように造られました。
イエス様は、しばしば静かなところに退いて一人で祈られました。神の御子でさえ、絶えず神との交わりを必要としておられたのだとすれば、私たちに必要なことは言うまでもありません。神様に大きく用いられた人たちは、聖書に登場する人物は言うまでもなく、現代においても皆、神の御声を聞き、神に祈る習慣を確立していました。
“デイボーション(静思の時)”は、QT(Quiet Time)とも言われ、霊的な入浴の時間ともいえます。生活の中の罪を吐き出し、洗い清めていただき、新しい出発をする時間にもなるからです。
長い信仰生活の中で、絶えず教えられてきた良い習慣とは、“デイボーション(静思の時)を持つ”“家庭礼拝をする”の二つです。今まで人生の年代に応じてジグザグ、ヨチヨチしながらの実行でしたが、この二つは、恵みと感謝な事柄だと感じています。
多くの教会では、“デイボーション(静思の時)”の大切さが語られ、指導されていることでしょう。長い間実行しつつも様々な問題に悩んでいる方、あるいは身についていない方もおありかもしれません。もっと聖書を深く学ぶにはどうすればよいのだろうか?とお考えの方もあるかと思います。
これらの事柄に良い指導を与えてくれる本が、「霊的成長をもたらす4つの習慣(クラス201)」(リック・ウオレン著、PDJ刊)です。心から、お薦めいたします。下記をご覧ください。↓
(全国のキリスト教書店でも販売しています。)
2017年5月16日 小坂圭吾