2019年12月12日木曜日

感謝「日本の精神・武士道~新渡戸稲造に学ぶ」


新渡戸稲造~旧5千札
旧5千円札の新渡戸稲造 

現在のお札、5千円札の肖像は?~樋口一葉ですが、1世代前のお札、旧5千円札の肖像?~新渡戸稲造でした。新渡戸稲造ってだれ?と聞かれると、政治家、学者、教育家と一言で答えるのは難しく、その働きが多岐にわたり大きな足跡を残しました。

何よりもこの人の与えた人格の影響力は、大きくかつ深い。彼は、北海道大学の前身である札幌農学校の草創期の卒業生(1881年)で、「少年よ、大志を抱け」で有名なウイリアム・クラーク博士が赴任した学校です。

新渡戸稲造は二期生だったので、入学したとき既にクラーク博士はアメリカに帰国され、直接指導を受けたわけではない。しかし、多くの感化を受けた一人です。

札幌農学校の臨時校長として招聘されたウイリアム・S・クラーク博士は、学者、教育者、指導者として立派な人物で、熱心なクリスチャンでした。日本のプロテスタント教会の歴史は、横浜、熊本、札幌に始まる3つのバンドより出発、この札幌バンドの基盤となったのが札幌農学校です。

クラーク博士は、日本での赴任期間がわずかに8ヶ月で、この短い歳月の中で、彼は計り知れない影響を生徒たちに残しています。キリスト教にもとづく人格教育に重きをおき、それに感化されキリスト教徒になった生徒が輩出します。

大志、夢、希望を持つ

彼が在職8ヶ月後に「少年よ、大志を抱け」と言って立ち去ったことは有名です。この言葉の最後には、「キリストにあって」との言葉があったという説は、クラーク博士の気持ちとして一番ぴったりするようです。

私たちの願いは、神に喜ばれる生き方をすることに他なりません。一人一人に与えられている賜物は違い、この地球上には、過去、現在、将来にわたって私という存在は2度と出てくることはありません。

クラーク博士は、言われます。私でなければ出来ない大志、夢、希望を、キリストにあってしっかりと描いて進むように!彼の人格教育の基がここ“キリストにあって”に込められているのです。

札幌農学校で学んだ新渡戸稲造は、クラーク博士の熱情あふれる人格教育に感化され、孫弟子としてクリスチャンになりました。彼は、人格形成としての武士道を幼い頃から道徳律として叩き込まれ、その武士道の精神とキリストの教えが相通じるものがあり、キリスト教を受け入れたのです。


世界的ベストセラー『Bushido―The Soul of Japan』~原書を英文で書く

彼が、アメリカで英文による『武士道』(『Bushido―The Soul of Japan』)を刊行したのは1899年(明治32年)38歳のときです。世紀の変わり目で、日清戦争と日露戦争の間にあたり、彼が海外向けに執筆する気になった動機について、序文に述べています。


あるときのベルギーの著名な法学者ラブレーとの会話のなかで、「日本人は、どのようにして道徳教育を授けているのか?」と問われたが返事が出来ず、アメリカで知りあった彼の奥さんにもうまく説明することが出来ない。

幼い頃から武士道を道徳律として叩き込まれたことから、日本には「武士道という道徳教育」があったというひとつの得心が生まれてきたのです。新渡戸稲造は、36歳になっていました。

その頃、病気療養のためにアメリカ・カリフォルニア州に滞在し、外国から日本を冷静にみつめる絶好の時であったでしょう。原書を英文で書き、サブタイトルに『The Soul of Japan』(日本の魂)とつけたのです。

英語で書かれたこの本は、世界の各国で翻訳され世界的なベストセラーとなりました。新渡戸稲造の『武士道』は、圧倒的な熱情と祖国愛とキリスト教に対する確信がつらぬかれて、読む者を高揚させてくれます。

第26代アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトが読んで感動し、友人に配るばかりか日本びいきになったといわれます。

日本人のバックボーン

これほどに用いられた本『武士道』は、決して古めかし道徳でもなく、封建制度の因習を書いているのでもない。そこにある生き方は、人間としての普遍的な生き方・倫理観を内包した題材が多く見られます。現代の日本人がある意味で失いつつある「日本の精神」を格調高く描きあげているのです。

武士道の基本的な精神は、「義」を中心におき「仁」を心とし「礼」を型として表す「勇猛果敢なフェアープレイ精神」としています。このほかにも、「勇」(勇気と忍耐)、「誠」(武士道に二言がない)、「名誉」(命以上に大切な価値)、「忠義」(何のために生きるか)、「克己」(自分に克つ)等が説明されています。これらを読むと、私たち日本人のバックボーンにある精神、その素晴らしいものを思い起こさせてくれます。

武士道の生き方と言えば、私が小学校3、4年生だったとき担当してくださった内藤先生を思い出します。とても気骨のある優しい男の先生で、今思うに「サムライ」というニックネームが似合う立派な先生で、武士道に通じる日本人のバックボーンにある精神を教えられたように思います。

中学生の時には、岡山市立丸の内中学校の中村校長先生を思い出します。全校生徒千5百人くらいの中学で、月に1回くらい、全校生徒が校庭に集められ、校長先生のお話があります。必ずと言って良いほどに「勉学、品位、耐乏」の言葉を色々と噛み砕いて、話をされたように思います。

しっかり勉強をすること、品位については礼儀、勇気、優しさ、親切等について語られ、何事も耐え忍ぶように。今でも「勉学、品位、耐乏」の言葉を忘れることはなく、この校長先生の話には、武士道の精神が背後にあったのだなと感じます。その他、小学校、中学校ともほんとに素晴らしい先生方に教えられたなと感謝がわきあがります。
新渡戸記念庭園・肖像
武士道は、「いまにも消えそうな灯心」かもしれません。しかし、日本人の心に焼きついた武士道の徳目ともいうべきものは、消えるものではありません。その精神は、日本人である限り残り続けるでしょう。ぜひとも残って欲しいと強く願うものです。

それは、普遍的な生き方・倫理観を内包したものだからです。そして、武士道の精神は、キリスト教の精神と相通じるものがあり、聖書の言葉にもこんな言葉があります。 

「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。」(コリントⅠ 13:4-7 新改訳)

2019年12月12日    小坂圭吾

(追伸)新渡戸稲造は、カナダ・ビクトリアで客死し、ブリテイッシユ・コロンビア大学(UBC)内に、彼を偲んで新渡戸記念庭園が造られています。