2006年1月大雪(大寒の頃) |
冬の湯けむり
1年で一番寒い季節と言われる「大寒」、朝の寒さは厳しく、朝起きの時間が遅くなりがちで、5時半から6時ごろ起床が6時から6時半になり、日の出が遅く6時過ぎに雨戸を開けてもまだ暗く寒いのです。
リビングのガスストーブには、5時半ごろにタイ―マーセットで火をつけて、ある程度暖かくなった頃にリビングに降りて行き、キッチンの石油ストーブに火をつけます。
かなり古い石油ストーブですが、しっかりその役割を果たしてくれて、とても暖かいのです。朝食が終わるころ、石油ストーブの上にかけてあるヤカンより湯けむりが上がっているのに気が付きます。
朝の太陽に照らされて、その湯けむりの何とも言えない穏やかな風景、「トー、トー、トットー、トットー」と音を立てながら、冬の心地良い趣を感じるひと時です。
じっと見つめますと、その湯けむりは、どれ一つとして同じものはなく、私たち一人一人が全く違うように造られていることを思い起こさせられます。この湯けむりは、上に上にと立ち昇っていくのです。
前のものに向かって進む
私たちクリスチャンは、後ろの物を忘れて、前のものに向かって進む、新しいことにチャレンジしていくことを求められます。何歳になろうとも、神から与えられた使命を果たすために走り続けることが求められます。
過去の良いことや悪いこと、成功や失敗、順調だったことや挫折した事、栄誉や屈辱、喜びや悲しみ、今も続いている痛み等々、一生の間には、しわの数以上に様々なことがありますが、それらを打ち忘れ前のものに向かって進むのです。
新しい年を迎えて今年はどのような年にしようかとそれぞれが考えたことだと思いますが、要は「過去を忘れ、常に未来に向って、今ここで現在を力強く生きる」ことが求められています。
昨年の秋から、良書に親しむということで、過去に読んだものを取り出してきて、あれこれと読みました。「人生の目的」が気になり、その本もじっくりと読みましたが、次のような事柄にぶち当たりました。
神の御前に立つ
私たちはみな、いつか神の御前に立つことになります。聖書によれば、永遠の世界に入る前に、神さまの審査を受けることになるのです。
「私たちはだれも皆、自分のことについて神に申し開きをしなければならない。」(ローマ14:12 現代訳)
神の審査に対して、どのような申し開きをするのか、その質問についても神さまは教えて下さっています。
第一の質問は、「私のひとり子イエスに対して、あなたはどのような態度をとりましたか」というものです。ポイントは、「あなたは、あなたのために主イエスがして下さったことを受け入れ、彼を愛し、信じましたか」ということです。
神は、私たちが神の御子キリストを知り、愛し、信頼するようになること、神の赦しと救いを受け取ることを願っておられるのです。
第二の質問は、「わたしがあなたに与えたものを、あなたはどのように活用しましたか」というものです。
神が私たちに与えて下さった才能、機会、情熱、経験、人間関係、家族、財産等々をどのように、神さまの目的に従って、有効に活用したかということです。
クリスチャンに引退なし
昨年の秋から、聖書や書籍を読み祈りながら過ごす中で、上記の質問について深く考えさせられました。
第一の質問に対しては、当然ながらしっかり答えられますが、第二の質問に対しては、今までそれなりに努力をしてきたつもりですが、実はこれからどうするかが問われました。
現役、そして第二の現役としてそれなりにやりながら、それなりの年齢(77歳喜寿)を重ねて第二の現役も卒業とさせていただくとけりをつけました。コロナとも重なり、そのような運びになりました。
しかるに、今後も生涯現役でやるしかないのではないかとそれとなく思ってはいました。
今回の学びや恩師の生き方を思い起こしながら、年齢も関係なく、力がある限り、神の目的に従って、自分に与えられたものを人々のために有効に活用しなければならないのだとの思いに導かれました。
クリスチャンには引退は無く、特に伝道・宣教については、私でなければ伝える人がいない人がいるということです。身近にありながら、伝えることをあまりしてないことを悔い改めました。
たとえ、年を老いても「祈る」という働きは、生涯続けることが出来るのです。これから新たな思いを持って、一歩前に進んでいきたいと願います。
「全世界に出て行って、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」
(マルコ 16:15 現代訳)
2025年1月24日 小坂圭吾