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| 映画「天地創造」 |
映画「天地創造」を見る
先日、NHK・BSプレミアムで映画「天地創造」を数十年ぶりに見ました。かつて確かに見たな、と思いながら見ているうちに、少しずつ思い出してきました。
「天地創造」の最初の出だしは、聖書によれば、このようにあります。
「地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。」(旧約聖書・創世記1:2 新改訳)
映画では、聖書に忠実に、その状態を何とか表現しています。
「そのとき、神が『光よ。あれ。』と仰せられた。すると光ができた。」
と続いていきます。
映画では、これ以降、聖書の記述に従って天地創造の姿を描いていきます。天地創造の七日間、人間の創造と堕落、ノアの洪水、アブラハムの歴史と続いていきます。
特にノアの洪水はなかなかの迫力があり、「そうだったのだろうな」と思いながら鑑賞しました。
人生の目的を求めて
私が大学に入学して間もなく、キリスト教講演会に導かれました。そこで、「人生について考えること、人生の目的を探ることが最も重要なことではないか」と感じ、教会に行くようになりました。
教会に行き、聖書を読み、KGKというクラブ活動にも入りました。私は理工系の学生でしたが、
「科学は万能ではない。神様は本当に存在されるのか。何となくわかるが……。キリスト教と科学は衝突するのではないか。」
と、いろいろと考えながら多くの本を読みました。大学の勉強よりも、こちらの求道のほうが熱心だったかもしれません。
そして自然界や人間を見るにつけ、これが偶然にできたとは、とても説明できないと思うようになりました。
聖書の開巻劈頭(かいかんへきとう)
求道を続けて一年余り、この天地の構造や自然界の現象を観察し、また聖書を読み進めていくにつれて、私はまず天地創造の主が存在することを認めるようになりました。
目に見えない神の存在を、認めざるを得なかったのです。
聖書を読んで、何とも素晴らしい一言が最初に記されています。
「はじめに、神は天と地とを創造された。」(創世記1:1 1955年改訳)
――これは、私が最初に読んだ聖書です。
しばらくして、尾山令仁著『創世記』の講解書が刊行され、そこには次のようなことが書いてありました。
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「はじめに神・・・」。なんと厳粛で神秘な響きをもつことばであろう。世界に数多くある書物の中で、最も多くの人々に愛読され、過去何千年のあいだ、多くの人々を高潔な人格に造りかえ、力のない人々を慰め、励まし、光を投じてきた書物。・・・・・
これを他の書物に比べるとき、どれもみなその色を失うほどこれが無比なゆえんは、この聖書が神の著作であり、読む者にひとしく神を仰がせるからである。
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無神論の否定
これを読んだとき、まさに天地の造り主を認め、信じた者として、深く感動したことを覚えています。このあとも先生の達筆な文章が続きます。
聖書は序文なしで、私たちを神の御前へと導き、力に満ちた神ご自身を示してくださる。そこには人間はまだ登場せず、ただ時のはじめを画される神がおられるだけである。
神の存在を証明するための議論は、少しも述べられていないのです。
今読んでも、そのときの思いがよみがえります。
この序文なしの宣言は、まさに無神論の否定です。人間が無神論を唱え出したのですが、それよりもはるか以前から神は存在しておられます。
無神論といえば、聖書を徹底的に否定しようとして調べ始めたものの、かえって聖書の真実を裏付ける証拠に出会い、ついには信じざるを得なくなった人がいます。
ルー・ウォーレス(1827〜1905)です。弁護士、州知事、南北戦争時の北軍将軍、政治家としても知られていますが、何より彼の名を世に残したのは歴史小説『ベン・ハー』であり、映画でもとても有名です。
「なぜなら、神に来る者は、神のいますことと、ご自身を求める者に報いてくださることとを、必ず信じるはずだからである。」
(ヘブル11:6 1954年改訳)
すべては神による
あらゆるものは神によって創造されました。これは、無からの創造です。聖書の序言であり、聖書のすべての記事と教えは、神の創造に基づいているのです。
そして「神」というヘブル語は複数形ですが、実際には単数として扱われています。この名詞を受ける動詞が単数形なのです。ここに神の単一性と多様性が示されています。
父・子・聖霊としての三位一体の神は、唯一の神の三つの人格として表されています。
「すべてのものは、神によって造られた。だから、神であられるキリストによって造られないものは一つもなかった。」(ヨハネ1:3 現代訳)
聖書は「はじめに神」と宣言して始まります。この天地が神によって造られ、私たちの人生もまた、神から始まっています。
人生の目的もまた、神を知ることの中にあるのではないでしょうか。今日もまた、神を知り、神と共に生きる生活でありたいと願います。
2026年3月11日 小坂圭吾(東日本大震災から15年、忘れない!)

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