暑さ寒さも彼岸まで
今年の残暑は、厳しい日が続きましたが、やっと秋分の日(9月23日)を迎えました。「暑さ寒さも彼岸(ひがん)まで」という言葉をご存知ですか。先日、若い人に聞きましたら、あまり知らないとのこと。この意味は、「冬の寒さ(余寒)は春分(3月21日)頃まで、夏の暑さ(残暑)は秋分(9月23日)頃までには和らぎ、凌ぎやすくなる」という意味です。日本の慣用句ですが、季節感と共に確かにそのように暑さ寒さが凌ぎやすくなり、的を射ているなと思わされます。今年も、そのようになってホッとしますね。
ところで、今年の夏は、節電対策で扇風機を使った方も多かったことでしょう。我が家も扇風機には、例年以上に活躍してもらいました。2か月も使用しますと扇風機の羽にホコリがたまってきます。例年ですと、扇風機をしまって暖房器具を出す時、掃除をすることで事足りていました。今年は、扇風機が大活躍をしたためホコリがついて、途中で掃除をせざるを得ませんでした。やはり、片づけや掃除はこまめにやる几帳面さが要求されるようです。
机の片づけ
皆さんの机の上は、きれいですか?机の中はどうでしょうか?机の上が物置になっている方も時々見かけますね。私の机の上には、パソコン、本立て、ペン立て、スタンド以外は置かないように心掛けています。もちろん、仕事をするとき色々な資料を持って来て、目いっぱい広げることもあります。先週は、珍しくいろいろと必用な物を持ち込んで、机・床・台の上に並べて戦線拡大もいいところ。こんなに広げてやることは多くはありません。しかし、その日の終わりには、「今日はここまで!」と区切りをつけて片づけをして、机の上はキレイにします。机の上は作業をする所なので、極力モノを置かないようにしています。
整理整頓とは、まずは物を減らすこと、そして使いやすく配置をすることです。前者が整理であり、後者が整頓になるのです。不要なものが多いと整頓は難しくなります。こうすることによって、机の上、中、キャビネット、棚、本棚、押入れもきれいに片付いてくることでしょう。日頃からこまめに整理整頓に心がけることです。
旅行と写真の整理
多くの方が苦手であろう“旅行と写真の整理”について、お話しましょう。私も“下手(へた)の横好き”と言って、コンパクトカメラで何か良いネタがあると写真を撮りまくります。その後ですぐに、画像を見て不要なものはどんどん消していくのです。したがって、パソコンに保存する段階では、おおむね半分に減っています。さらに、パソコンの画面で見て、2-3割は削りますので、撮影段階から見れば20-30%に減っていることでしょう。保存の時には、年月と主要なテーマを入れてファイル名にしています。プリントするのは、その中で数枚でしょうか。それが写真帳に年代順に入れてあります。
旅行に関しては、国内、海外に分けて旅行ごとの資料をしっかりとファイルし、写真の中でこれは思うものを写真帳に入れて、詳しくはパソコンにありますので、いつでも開くことが出来ます。これは、経営コンサルタント・大前研一がそのノウハウを披露してくれたのに倣って、小坂流に工夫をしています。彼は、旅は記憶するだけでなく、記録に残しておくことが大変な玉手箱になると勧めています。彼に触発され、旅行の整理がぐっと良くなりました。
整理整頓された旅行のファイルや写真をひも解くと、旅の記憶ばかりか自分の人生の過去の旅路にさかのぼることが出来、いろいろなことが一瞬にして脳裏によみがえってきます。1枚の写真からよみがえってくる人生の旅路を味わうことも、整理整頓、片づけの楽しい一面ではないでしょうか。楽しく整理整頓をしましょう。整理整頓の極意は、ほんとに必要なものは何かを考えることです。必要なものでも、使う頻度(毎日、週に一度、月に一度等々)も良く考えて配置することです。片付けは、人生における様々な場面での優先順位を考えることと同じようなことが大いにあると思わされます。人生の片づけ術の腕を、さらに磨きたいものです。
「あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。しかし、どうしても必要なことはわずかです。」(ルカ 10:41)
2011年9月23日 小坂圭吾
断捨離
今年の始めごろ、妻から「断捨離(だん、しゃ、り)」という言葉を知っているかと尋ねられました。聞いたことのない言葉で、ある切り抜きを渡されました。読んでみますと「これは面白い」と感じ、さっそくインターネットで調べますと、今注目されているとのこと。皆さんは、ご存知でしたか?最近、あちらこちらで見かけるようになりました。
ヨガの「断業」、「捨行」、「離行」という考え方から来ているとのことで、10年ほど前、金沢市に住む主婦が提唱し、ブログを通して広がったとのことです。「断捨離」は、不要なモノを断ち、捨てることで、モノへの執着から離れ、身軽で快適な生活を手に入れようというものです。モノも情報もあふれかえっている現代。ともすれば、安いからと必要もないものを買い集め、捨てることもできずにいる自分。次から次へと流れてくる情報に右往左往している自分。そんな生き方に対して、不必要なものを捨てるというプロセスを積み重ねると、身の回りをスッキリさせることが出来、自分の心をも整理して行くことが出来るというものです。現代は、“いらないものをいかに捨てるかという知恵”こそが、必要な気がします。
人生の片づけ術
このことで思い出すのは、あの「坂の上の雲」に出てくる秋山好古の生き方です。彼は、実にシンプルな考え方、生活態度で生き抜いた人だったと思います。NHKテレビでの放映を見て刺激され、「坂の上の雲」を読み始めました。単行本は全部で8巻、いま6巻まで読み終えました。NHKテレビでの放映が終了するころには、読む方も完了したいと思います。
ところで、わかりやすく言えば“片づけ”ですが、私もいつの間にか“片づけ上手な一人”になりました。大袈裟に言えば、人生の片づけ術ですね。世の中には、片づけコンサルタントも出て来ています。事務所はもちろん、家、書斎、物置もきれいに片づいています。妻も私に影響されて、片付けがかなり上手になったように思います。私の片づけ上手はいつごろかな?と、これを書きながら思い出してみました。それは、母の影響が大であったと思われます。実家は、それはもうきれいに片づいていましたし、母の片づけや掃除をしていた姿が目に焼きついています。どこを開けても整然としていました。祖父がきれい好きっだので、その影響も大きかったようです。ビジネスをするようになって、片付けの上手な身近の先輩を見ながら、少しづつ腕を磨いてきたように感じます。
身のまわりの片づけ
毎日の煩雑な生活の中で、片づけをしなければならないことが次々に起こってきます。先月でしたが、ふと時間が出来ましたので、不要なものを少し整理でもしようと思い立ちました。やってみるとほとんど片づいていて、捨てるもの、整理することもあまりありません。それよりも、大事にしている物をもっと活用しようと思い立ちました。やはり、忘れてそのままになっている物があるものです。
“片付けの極意は何か?”と問われれば、物をすぐに分けて整理することです。必要なものと不要なものを分けて、不要と分類したものは、捨てるべき箱に入れます。期限が来れば処分をします。すぐに捨
てるかどうかを迷うことがありますが、その場合は、一時置き場の箱に入れます。1-2週間後に見直しすれば、簡単に必要、不要を決めることが出来ます。寝かすことの重要さがここにもあります。
必要と決めたものは、整理整頓をしてありますので、必要なキャビネット、本棚、ファイルに入れます。入れる際に目に触れた過去のもので、もういらないと即座にわかる時があります。それは取り出して、廃棄します。もし時間があれば、ついでにそのファイルやキャビネット、本棚を整理整頓してしまいます。要は、不要なものを減らす努力をついでにするのです。ほんの少しの時間を使ってやるのです。片づかない人の多くは、そのときそのとき片づけをしないで、後からしようとしますので片づきません。「仕事の出来る人は、片づけも上手である」いや「片づけの上手な人は、仕事も出来るようになる」と言いきってしまっていいかもしれません。片づけをうまくやれば、仕事もはかどることは確かです。
「あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。しかし、どうしても必要なことはわずかです。」(ルカ 10:41)
2011年8月17日 小坂圭吾
想定外のこと?
東日本大震災で福島原発事故が起こり、「想定外のことが発生した」との話を何度も聞かされました。これを聞いて「何を今さらそんなことを言うの?リーダーならリーダーらしく、科学者なら科学者らしく素直に認めたらどうなの?心から謝罪でもしたらどうか!」と厳しいですが、私は感じました。
専門家は、1000年以上前の平安時代にこの地域が広範に浸水した大津波を予測し、福島第一原発の想定津波の見直しを迫っていました。国会でも、原子炉冷却システムが機能しなくなる恐れがあることが指摘されながら何もしなかったのです。原発事故が起きてわかったことは、リスク分散がきわめて不十分でした。どこかが機能不全になれば他で補えるようにバックアップをして万全を期しておくのですが、この原子力発電所の場合、お粗末限りなしの状況でした。
イエスの十字架と復活
この東日本大震災からしばらくしてイースター(復活祭)があり、まもなくペンテコステ(五旬祭)の日が巡ってきます。この季節にイエス・キリストの十字架と復活を思いながら、「想定外のこと」について思い巡らしました。「イエス様が、十字架にかかられることは想定外でした。ですから、十字架にかかられるときに思わず逃げ出したのです。」とは、弟子たちは言いませんでした。イエスは何度も「私はやがて十字架にかかる」と言われ続けましたので、弟子たちは、十分すぎるほど知っていました。イエスが、総督ピラトの裁判にかかり十字架刑に処せられるとわかると、弟子たちの多くは、恐ろしくなって逃げてしまいました。これが私たちの姿でもあります。
十字架にかけられたイエスが、3日目に復活されます。女の弟子たちは、イエスの葬られた墓に行くとそこは空でしたが、御使いの話を聞き、イエスがよみがえられたことを信じます。それを男の弟子たちに話しますが、誰も信じてくれません。男の弟子たちは、旧約聖書の話を十分知りつつも、「イエスが復活されるなんて、まさか?」との反応だったのです。想定外とは思いません。ヨハネは、ペテロと一緒に走って行って墓の中の様子を見て、復活されたことを信じます。その後、イエス様がいろいろな場面で顕現されますが、弟子のトマスが最後まで頑固に信じないと言い張ります。彼は知識で想定出来ていても、理解できていなかったがゆえに信じられなかったのです。思えば、私も信仰に入る前、復活について頭で理解できても信じられなかった体験があります。
想定外は、実は想定内
NHKスペシャル(5月7日)での東日本大震災についての検証を見ますと、今回の大震災は十分に考えられる事、“想定外ではなくて想定内である”と言えるようです。確かに千年前に起きたであろう三陸沖地震の大きさに匹敵する規模でした。原発事故について「想定外
」との言葉は、責任回避以外の何物でもありません。歴史は繰り返す!私たちも、想定外と言って責任回避という同じ過ちを犯しがちなものです。過ちを素直に認めようとしない自分があります。素直に現実を認めて、間違いを素直に受け入れていくところから、新しい力が湧き出て来るように思います。
このような大災害は「信じられない」というのが素直な気持ちではあります。日本ハムのトレイ・ヒルマン元監督が、日本ハムが日本シリーズに優勝した時に「信じられない!」と叫んだことは有名です。彼にとっては、優勝は想定外だったかもしれませんが、そのようなことが起こるのは神様にとっては想定内であり、だから自分にとっては信じられないと言われたのだと思うのです。すべての事柄は、主なる神様の支配下にあり、神様にとっては全てが想定内です。その神を信じる私たちは、想定外のことも想定内として受け止めるところから、主よりの新しい力をいただくことが出来るのです。そして、歴史に学ぶ者となりたいと思います。
「昔あったものは、これからもあり、昔起こったことは、これからも起こる。日の下には新しいものは一つもない。」(伝道者の書1:9)
2011年5月16日 小坂圭吾