2025年8月11日月曜日

感謝「心に焼き付ける~酷暑の夏、信州での恵み」

上高地・河童橋
季語「酷暑(こくしょ)」

今月に入り、国内各地で観測史上最高気温となる40℃超えの記録が相次いでいます。

先日、自宅の駐車場から車を出そうとエンジンをかけたところ、車外温度計は42℃を示しており、思わず「まるで蒸し風呂だ!」と声を上げました。天井付きの車庫で直射日光を避けていてもこの暑さです。

お天気キャスターによれば、夏の最も暑い時期は7月末から8月上旬が多いとのこと。ということは、これから少しずつ気温が下がっていくのかと、淡い期待を抱きます。

俳句や短歌で季節を表す言葉を「季語」と呼びますが、夏の厳しい暑さを表すものには、酷暑・猛暑・極暑があります。日本気象協会によれば、酷暑日は40℃以上、猛暑日は35℃以上の日を指します。

暑さ対策

皆さんは、この酷暑・猛暑の日々をどのように過ごしているでしょうか。

エアコンは必需品ですが、各部屋に個別で設置していても、廊下に出ると「うわ、暑い!」となることがあります。我が家では、もう10年以上前から、2階の事務所兼書斎にエアコンをつけたままドアを開放しています。

すると冷気が階下に降り、さらに送風機で風を送れば、1階の廊下や各部屋も涼しくなります。冷やす必要のない部屋は閉めておく。この方法で、快適に過ごしつつ電気代も抑えられているようです。

猛暑の中のバス旅行

そんな酷暑の続く中、7月末に信州へのバスツアーに参加しました。計画段階ではあまり時期を考えていませんでしたが、結果的にとても良い季節に行くことができました。

まず訪れたのは、蓼科、ビーナスライン、霧ヶ峰高原、美ヶ原高原。標高1,5002,000mの高原地帯は、直射日光下では30℃を超えるものの、爽やかな風が心地よく吹き抜けます。

ビーナスラインは、30数年前に妻と子どもを連れて車で訪れた場所。いつかまた行きたいと思っていたコースを今回ツアーで再訪でき、懐かしさで胸がいっぱいになりました。

妻は若いころは旅行好きではありませんでしたが、近年は次第に楽しむようになり、今回も満喫してくれたようです。

翌日は上高地へ。長野県松本市にある標高約1,500mの山岳景勝地で、特別名勝・特別天然記念物にも指定されています。清らかな景色は多くの人を魅了し、何度も訪れるファンも多い場所です。私も今回で3回目(前回は78年前、一人旅)でした。

穂高連邦・岳沢・梓川
心に焼き付ける

上高地のシンボル〈河童橋〉からは、穂高連峰や岳沢、梓川、反対側には焼岳を望むことができます。

アクセスも良く、周辺には土産物店やホテルも並び、観光客で賑わっています。今回は河童橋を渡り、川沿いの日陰のベンチに座ってお弁当を広げ、絶景を眺めながら1時間ほど過ごしました。

そのとき意識したのは「写真ばかり撮らず、景色をじっくり味わい、心に焼き付ける」ということです。以前、一人旅で丸一日カメラを構えて過ごしたことがありました。

帰宅後、写真はたくさん残っていたものの、心の感動は薄く、「自分はいったい何を見てきたのか」と感じたのです。後日、同じ経験を語る本の著者の記事を読み、深く共感しました。

それ以来、撮影は控えめにしようと心がけ、今回は特に徹底しました。その結果、上高地での2時間は、景色を存分に堪能し、心の目で見て記憶に刻み、自然と深く向き合う時間となりました。

帰宅後も数日間、その余韻は消えませんでした。

感動する心を保つ

感動する心を生涯失わないように」――これは中年期によく考えていたことです。数年前、自分の感受性が少し衰えていることに気づいたとき、逆にそれを感謝しました。

最近では、夕食時に美しい夕焼けや上弦の月を見て思わず箸を止めることがあります。家庭礼拝で聖書を読むときも、何度も読んだ箇所なのに「新鮮だね」と妻と語り合うことがあります。

日々の出来事の中で、ほんの小さなことにも心が動かされ、気づかされる――そのことを感謝しています。神との交わりにおいても、心から感謝し、悔い改め、痛みをもってとりなし、心を注いで祈る者へと少しずつ整えられていきたいと願っています。

私は山に向かって目を上げる。                               私の助けはどこから来るのだろうか。                        私の助けは天地を造られた主から来る。」(詩編121:12 現代訳)

2025811日(山の日)小坂圭吾 

2025年7月15日火曜日

コーヒーブレイク「羊群社について」

 

マリーゴールド(和名:千寿菊)

雑誌「羊群」(A5版)について

私の所属する聖書キリスト教会・東京教会は、前身は山手線・高田馬場駅近くにあった「高田馬場教会」です。尾山令仁先生が19533月、高田馬場の路傍に立って開拓伝道を始められた教会です。

その後、枝教会がいくつもでき、教団名が必要となり、「パイオニアスピリットを持った聖書に堅く立つ自主独立の教会」として『聖書キリスト教会』と名づけられ、現在の東京教会として再スタートしました。

19634月、大学1年生だった私は、大学構内でKGK主催の講演会をきっかけに尾山先生の高田馬場教会へ導かれました。

日曜礼拝では「教会新報」という週報が配られ、尾山先生が大切なことを記しておられました。毎週新しいニュースが掲載されており、求道中の私はこれを熱心に読み、信仰に導かれる懸け橋となったことを覚えています。

雑誌「羊群」創刊号

また、尾山先生が編集長を務める雑誌『羊群』(A5版)も月1回発行されていました。19616月から雑誌形式になり、「あなたに使命と生きがいを与える雑誌」と銘打って出されていました。

内容がまとまると書籍として発行され、この雑誌『羊群』と書籍を発行していたのがキリスト教出版社「羊群社」です。私たち教会員は、礼拝と祈祷会、そしてこの雑誌と書籍を通して信仰を養われていきました。

教会としての文書伝道機関

尾山先生は礼拝と祈祷会を大切にされるとともに、文書伝道にも大きな情熱を注がれました。依頼があればさまざまな本も執筆されましたが、中心は『羊群』誌に掲載された記事をまとめて、羊群社から刊行するという形でした。

『羊群』誌は読み捨ての記事ではなく、時を経ても価値を失わない内容を掲載することを願って編集されており、書籍化はその表れです。

雑誌を継続して揃えておけば、それだけで何十冊分の価値があるとされていました。私も若い頃はバインダーに入れて本棚に入れていましたが、書籍化されるとわかってやめたことを覚えています。それでも何冊かは今も書棚に残しています。

このように、聖書キリスト教会の文書伝道機関である「羊群社」は、このブログを運営するPDJ・ロゴス出版社とは兄弟会社です。

このたび、PDJ・ロゴス出版社のホームページから羊群社の書籍の注文ができるようになりました。ぜひご活用いただければ幸いです。

主な書籍は以下の通りです。

聖書の概説、聖書の講解、聖書の教理 創世記、マタイ、ルカ、ヨハネ、ローマ書、エペソ書等の講解書 信仰生活の手引き、キリスト教式文 ほんとうの祈り、キリストの生涯、生きて働かれる神死後のこと/キリスト教/性について本当のことを知りたい

文書伝道に携わる恵み

ビジネス時代には転勤もありましたが、母教会である聖書キリスト教会・東京教会を変えることなく信仰生活を送ることができました。

地方勤務の折には地元の教会に通い、月1回は母教会の礼拝に出席し、奉仕にも携わってきました。

中年期には教会新報の編集長を務めたり、『羊群』誌に数年にわたり記事を執筆したり、羊群社の4代目社長も担当させていただきました(経営者といっても無給の奉仕です。雑誌『羊群』編集長であった尾山牧師も無給です)。

羊群社の中心書籍である『現代訳聖書』は、尾山先生が30余年かけて翻訳されたもので、聖書キリスト教会の30周年記念事業の一つとして198310月に初版を刊行しました。その際、現代訳聖書刊行会の代表としての責任も担わせていただきました。

先輩の長老が当然任命されると思っていましたが、「これから先長く続くので、一番若い長老がよい」との理由で私に白羽の矢が立ちました。

以来、今日まで担当させていただいていることは、感謝であり大きな恵みです。(この立場ゆえに、『現代訳聖書』をしっかり読むことが求められます。)

開拓伝道の精神を受け継いで

日本の教会は、どれほど成長しても、クリスチャン人口が数%である限り、なお開拓伝道の途上にあります。

「一にも犠牲、二にも犠牲、三にも犠牲をささげる開拓伝道の精神を、教会もこの文書伝道機関も忘れてはならない」――これは羊群社の創業者が語った言葉であり、今も新しい響きをもつ言葉です。

特に文書伝道に携わる者として、この精神を持ち続けたいと願っています。同時に、皆さまの支援によって支えられていることを深く感謝いたします。


「すべての事について、感謝しなさい。」( 第テサロニケ 5:18


20257月15日 小坂圭吾


2025年6月23日月曜日

祈り「大切なことを忘れる」

あじさい

5
月に風邪をひく

若葉のまぶしい5月、お花も色々と咲き、あちこちに出かけて新緑を楽しむことができました。ところが5月下旬にまさかの出来事!風邪をひいてしまいました。

朝起きると体がだるく、その日は朝から晩まで寝たり起きたり、それが3日間、いや4日間も続きました。熱は高くはなく、医者に世話にならずに何とかしのぎました。

このままだと治るに1週間以上だなと思わされ、10日過ぎてやっと少し元気を取り戻しましたが、完全に治るには更に時間がかかります。68日ペンテコステ礼拝に出席したのち、午後に今年2回も風邪を引いたがなぜだろうか?とわが身の「ふり返り」をしてみました。

いつ頃からでしょうか、「反省」ということではなく、ふり返りという言葉を使うようにしました。「反省」という言葉は、自分のあり方、生き方をふり返ってよく見ることです。

「ふり返り」も同じ内容ですが、生活の中の出来事や経験の中心にある意味、自分のあり方や生き方にとっての意味を見出すこと、反省よりも優しい積極的な意味合いが感じられこの言葉が好きになり、使うようになりました。

湯河原・万葉公園
半年間のふり返り

年の始めに今年の目標を考え、年末にはその結果がどうだったのか?と1年の「ふり返り」をする(SEETHINKPLANDOサイクルを回す)のがもう40数年にわたるやるべき事柄・習慣です。

今回は6月ですので、“半年間のふり返り”となりますが、これは初めてやる事柄です。そうはいっても、わが身のすべてでは無く、今年2回も風邪をひいたことに絞って考えました。

振り返れば、昨年12月インフルエンザにかかり、更にさかのぼれば、一昨年12月コロナにかかりました。この時は、夫婦共倒れです。この時は、どこから感染したのかはわかりませんでした。

気をつけていても感染するときは感染するなと思わされました。年末で少し忙しく、それも影響したかなと思ったことです。そして、今年の2月風邪をひき、またやられたなと思い、5月更に風邪をひく。さすがにこれは長くかかり、ふり返りを要することになったのです。

すぐに忘れる

ふり返りを始めて思ったことは、とにかくすぐに忘れるのだということを思い起こしました。

今回治るのに長引いたのも、神さまの御手の中にあってのことですが、「今回は長かった。辛かった、痛く感じたなあ!」と大切なことを思い起こすには、この位が必要だと主なる神様は思われたか!と感じたのです。

ちょうど今、ふとしたことから聖書の学びをもっとしようと神学校の学びを再度始めました。これはという事柄について、聴講を始めたのです。

旧約聖書五書の学びをしていますと、イスラエルの民が神の豊かな恵みを思い出さず、すぐに神の素晴らしい御業を忘れ、自分たちの神さえも忘れてしまう!!


何という愚か者かと他人事のように見ていたことは、どうしてどうしてこれは人間の忘れるという悲しい現実なのです。今回ほど、これが私の現実だという事を思い知りました。

何もこれほどのことを書くまでもなく、私たちはすぐに忘れる!それは、日曜日の礼拝後、教会を出ると今日の聖書箇所を忘れている!何も後期高齢者でなくても忘れている。

朝読んだ家庭礼拝の聖書箇所を、夜には忘れている!例を挙げたら、いくつもありますね。ですから、朝晩聖書を読み、祈り、神さまと交わりをしないと駄目な私たちなのです。

これは忘れてはいけないと思うみ言葉は、額に入れて、目の前に置かないと忘れてしまうのです。

半年間のふり返りをして分かったことは、要はあれこれとやり過ぎて疲れがたまり、ダウンにつながったことです。

人生をもっとスローにすべきこと、大切でないことは止めることを痛く示されました。そして、これらをすぐに忘れる者であることを示されました。今回の事は、ふり返りのたびに覚えておきたいと思っています。

「彼らは救い主である神様を忘れました。エジプトの地で大きなことをなされ、紅海で恐るべきことを行われた、救い主である神様を。」(詩編106:21-22 現代訳)

「あなたの神、主がこの40年の間、荒野であなたを歩ませられたすべての道を覚えていなければならない。」(申8:2 新改訳2017)

2025年6月23日 小坂圭吾

2025年5月30日金曜日

聖書のことば「さばいてはいけない」

 

ワシントン・リンカーン記念館

アメリカ大統領就任式

これまで色々な人々の生涯について、学んできました。聖書に登場する人々はさておいて、その伝記をしっかり読んだ人と言えば、アメリカ・リンカーン大統領です。

かなり前になりますが、アメリカで歴史上最も尊敬できる人物について世論調査をしたところ、1位はイエス・キリスト、2位はリンカーンだったとのこと、リンカーンがどれほどアメリカ人や世界の人々から愛と尊敬を受けているかを実感させてくれるものです。

オバマ大統領も、尊敬する大統領としてリンカーンをあげています。私たち日本人にとって、リンカーンといえば、奴隷解放と南北戦争を勝利した大統領という程度の知識かもしれません。

リンカーン聖書

アメリカ大統領就任式では、大統領が自分の好きな聖書箇所を選び、就任の宣誓をして、聖書に口づけをして神様のことばに対する畏敬の念を表します。リンカーン大統領が特に好み、選んだ聖書箇所は、次の御言葉でした。

「さばいてはいけません。さばかれないためです。」(マタイ7:1)

リンカーンの生涯

今から40数年前に初めてアメリカに出張した時、ワシントンを訪問し、国会議事堂、ホワイトハウス、大統領が日曜礼拝に行く教会そしてリンカーン記念館を訪ねました。

そこにあるリンカーンの座像~建物の入り口中央に置かれている巨大な石像で、両腕をひじ掛の上に乗せて、厳粛な雰囲気をかもしだしています。

リンカーン像

周囲を散策しながら、これほどまで巨大な建物の記念館を作ったのには、アメリカにとって偉大な尊敬する人物だからであろうと推察しました。

その後、「ホワイトハウスを祈りの家にした大統領リンカーン」(ジョン・クアアン著、小牧者出版)を読み、リンカーンがどれほど信仰の人であったかを知り、大きなチャレンジを与えられました。

リンカーンの生涯についてですが、彼のお母さんが素晴らしいクリスチャンで、彼に「信仰」と「夢」を植え付けたのです。

「神さまのみことば通り生きなさい」とモーセの十戒が心の奥深くに焼きつき、その通りに正直に生きる原動力になりました。彼が9歳の時に母がこの世を去りますが、次の新しい母も素晴らしいクリスチャンです。

彼女は、リンカーンに良く聖書の話を聞かせて信仰の目が養われ、読書の習慣を育ててくれ、まれに見る「本の虫」と呼ばれ独学で勉強をしました。

学校らしい学校教育を受けていませんが、読書に専念し、よい文章があればメモを取り、繰り返して読んで自分のものとしました。彼は、毎年自分の身長ほどの本を読むことを目標にしたとのことです。

さばいてはいけない  

リンカーンは、幼少時代からひどいいたずらっこで、周囲の人々をたびたび困らせました。悪い習慣は、弁護士時代にも表れ、彼が不満に思う若手政治家を非難しまくって、相手を大憤慨させ命がけの決闘を申し込まれ、命を失う危機に立たされました。

ミシシッピ川の川辺で決闘となり、決闘直前に友人たちの仲裁により、彼の謝罪を受け入れ、血を見る決闘にはなりませんでした。

この出来事が引き金となって、今後他の人を批判する、悪く言うことをしないとリンカーンは決心したのです。そして、マタイ7章1節のみことばを、生涯心に刻んだのです。

リンカーンの生涯を貫き通していることは、聖書を読み、祈り、聖書の言葉に生き抜いたことです。彼も罪びとであり多くの過ちを犯しました。

あるいは、犯しかけながらも留まりました。犯した過ちについては、それが聖書の言葉に照らした時に、もう2度とやらないと心に焼き付け、犯しそうになった時に冷静に踏みとどまって、神の心にかなうような行動に自分を仕向けたのでした。

特に「さばいてはいけない」「自分の敵を愛せよ」のことばを実行したのです。

愛、受け入れ、赦し

この聖書のことば「さばいてはいけない」は、私も失敗の数々があったなと思い起こします。若い頃の振り返りをしてみますと、赤面の至りです。長く人生を歩んできて、感謝なことが沢山出てきますが、失敗も多かったなと思います。

若い頃のいつでしょうか、とかくさばきになってしまう自分があったなと!?今ではさばきの思いが出てくる前に、愛、受け入れ、赦しが出てきて、ともかく受け入れようと思うのです。

いつ頃からそのようになったかは、定かではありません。すぐに心の中で人をさばいたり、悪く思ったりすることは誰でもあります。批判する、悪く言うことはいとも簡単に行なってしまいます。

人をほめ建てあげることがいかに少なく、度量の狭い人間であるかを思い起こすのです。「愛、受け入れ・赦し」の実践しかないと心に刻んでいます。

「人を裁いてはいけません。人を裁けば、神様から裁かれます。」(マタイ7:1 現代訳)

2025年5月30日    小坂圭吾      

2025年4月21日月曜日

コーヒーブレイク「脳・体を鍛える」

        身延山久遠寺・五重塔

ラジオ放送が始まって100年

日本でラジオ放送が始まったのが1925322日で、今年で100年目を迎えました。4050年続く長寿番組も珍しくないのがラジオの世界でした。

我が家にもラジオが数台ほどありますが、内1台は、20年以上も前の古いラジオで作りが良く長持ちです。数台の内1台は防災用ラジオで、最近新しい物に買い換えました。

1台はダイニングキチンに置いて“ながら”用ラジオとして使い、残りの1台は、ラジカセでCDかカセットを聞くためにあります。

夜7時のNHKニュースですが、食事時はテレビをつけませんので、ラジオだけは邪魔にならず利用します。車を運転しながらラジオを聞きますが、テレビがついてから少しラジオが減りましたね。

身延山久遠寺・桜満開

ラジオに思う

テレビが世に出てしばらくして、「テレビで一億総白痴化する」と発したのは、有名な評論家の大宅壮一だったと思います。

現在では、テレビだけでなくスマホやインターネットも含めて悪い影響に毒される、深く考えることをしなくなっている現実があります。

テレビは、脳力アップには不向きだと言われ、ラジオは脳を鍛えると言われます。

というのは、ラジオは視覚に頼ることがない分、音や言葉が連想の刺激へとつながり、音声を映像化する必要があり、脳には負担がかかり活性化されていくのだそうです。

ラジオは何かをしながら聞くという「ながら」が特徴で、同時に二つのことを行うというのは、脳にとっては高度な働きになります。ですから、脳を鍛えて老化を防ぐことにもつながるのです。

テレビやインターネットやスマホやら便利な世の中になって、頭を使わなくなったと感じるのではないでしょうか。脳は甘やかすと衰えていきますが、鍛えると成長するのです。

とにかく鍛える

脳を鍛えると言えば、私の場合、本を読み、色々とあちこちに出かけて見聞きし、インプットしたことを何かアウトプットする~話をする、ブログを書くことを継続しています。

毎日、大きな声で聖歌・讃美歌を歌い、聖書を声出して読むのも、良い事に繫がっているでしょうか。何事も鍛えること、訓練する事を忘れてはならない~~脳ばかりでなく体も同様です。

冒険家の三浦雄一郎さんですが、80歳で3度目のエレベスト登頂を果たされた時に、何歳になっても体は鍛えれば、強くなることを教えられました。

その後、コロナ禍の中、大病を患うもリハビリを続けて、昨年91歳の時、八甲田山系で山岳スキーにチャレンジされ、今なお冒険家としての人生は続いています。

私たちには同じような真似はできませんが、体は鍛えれば、それなりに成果があることは確かです。

そのことに刺激され高齢者になる頃から、週に一度はスポーツセンターに行きトレーニングジムで鍛え、週に4~5回は、ウオーキングと筋トレに励んでいます。

体力維持が目的ですが、そろそろ少しハードルを上げようかなと思っています。

脳・体に良い事に取り組む、

いざ鍛えるとなるとハードルが高くなりますが、最初は良い事だなと思って始めると、続けられるものです。私もやり始めて今日まで続いたものは、そのようにして始めたものです。

最近夫婦で、”げんきかい”という新しい仲間との交流会に参加を始めました。

地域の人々にそれぞれの趣味活動を支援し、「今日もげんきかい」「元気ですよ」と声をかけ合い、気楽に立ち寄り、お茶を飲みながら仲間との触れ合いに喜びを見出す場、非営利・非宗教・非政治の会です。

日曜日以外毎日運営しており、健康マージャン、ハマトレ体操、歌声会があり、会費は、300~500円で20~30人ほど集まっています。

とても素晴らしい運営をしていて、色々な方々と触れ合う場であり、元気が与えられます。

良い事と思うことに取り組み続けていく、すると工夫も出てくる、良ければ継続できるのです。外出して人と触れ合い、歩いていくので体も鍛えられ、人との交流で脳も鍛えられるのです。

とはいえ、嫌なことや辛いことがありますが、忍耐してやることにより、後で見ると良かったと思うことが沢山あります。鍛える、訓練などと思わず、気楽に楽しむことです。

やはり、鍛えることにつながる生活は、忍耐があるなと思わされますが、それも品性を磨く道程かなと思っています。

「どんな訓練でも、それを受けている時は、嬉しいよりはむしろつらいものだが、後で分かることは、そうした訓練を受けた者は、必ず神の御心にかなった生活ができるようになっているということである。」(ヘブル 12:11 現代訳)

2025年4月21日 小坂圭吾