2024年11月12日火曜日

喜び 「人生は一緒に生きるがベスト」

 

紅葉(バンクバーよりの便り)
良書を読み返す

今年も思い返しては、昔読んだ良書を取り上げて読んでいます。

10年ぶりに読んだものが『よく生き、よく笑い、よき死と出会う』(アルフォンス・デーケン著/新潮社)、私の所属する教会で講演をしていただき、その時に購入して読みました。

これを読んでブログを書こうかなと思いましたが、もう少し死についてて研究を重ねることにしました。

5年ぶり読んだ本が『三浦綾子さんのことばと聖書“100の祈り”』(込堂一博著/いのちのことば社)、この本の著者(牧師)は、旭川に導かれて三浦綾子さんと交流があり、本書を書かれました。

著者とは、ある教会の日曜礼拝でお会し、その時この本を買い求めました。

最近何となく人生の目的が気になり、何年振りかに新しい本を手に入れ『人生を導く5つの目的』(リック・ウオレン著/PDJ)を読んでいます。

1日1章、ペンとマーカーを持ちながら1章を読み終えると、質問について考えます。教えられたことについては、家庭礼拝で時々分かち合いをしています。

関係こそ人生のすべて 

『人生を導く5つの目的』を始めて読んだ時、私が最も衝撃を与えられた事は、神は、関係こそ人生のすべてであると言われるという箇所でした。関係は人生のすべてであって、一部ではないということです。

神を愛し、人を愛することが最も大切なことは理解していますが、関係こそすべてという具体的なレベルで実行できているか、認識しているか?きわめて弱かったのです。特に人との関係のため力を入れることは、優先順位のトップにありませんでした。

優先順位が高いというのは、どれだけの時間をそのために費やしたかによって図ることができます。関係こそすべてということに気がついてから、そのことの努力をするようになりました。

人間関係は、煩わしいことも多くありますが、お互に交流することを通してこそ、私たちの人格もまた磨かれていきます。

一緒に生きる

色々と良書を読み返し(再読・再々読等)ますと、新しく読む本以上に、教えられることが確実にあり、そうだったなと新しい気づきもあり、良書を読み返す楽しみです。色々と本を読んだ後で、誰かに話したくなるものです。

他の人に話すことによって、新しいことに気が付く、相手の反応でより深められるといったことを経験します。話すことによって自分の記憶に更に残っていくとも言われます。

他の人に話す、分かち合うことは、そこには互いに交流し、交わることが当然ながら起きてきます。私たちは一人で孤独に生きていくのではなく、他の人々と関わりを持ちながら、共に神の目的に生きるように計画されました。

私たちは、互いに他者を必要としている存在であり、周囲の人々と一緒に生きることが神さまのご計画であり、二人は一人に勝るのです。

一緒に生きるとは、交流・交わりを持ち、その友情を深めることで、その関係の中で最も大切な「愛に生きる」ことを学んでいくのです。


ヤマアラシ

ヤマアラシのジレンマ~一緒に生きるがベスト

ドイツ哲学者の作った寓話に由来して、精神分析医が名付けた『ヤマアラシのジレンマ』というお話があります。

「二匹のヤマアラシが温めあおうと近づいたら、お互いの針で刺し合ってしまい、あわてて離れる」というコミュニケーションの魅力と煩わしさを表したお話です。

聖書では、人が互いに交わりを持ち、一緒に成長し、仕え合い、共に礼拝し、伝道することを神は望んでおられると教えています。では、針の問題はどうすればいいのでしょうか?寓話が出した答えは、『適度な距離を保つ』という妥協案でした。

聖書が提示するのは、「キリストのことばを心に住まわせ、競争意識を持たず、要求よりも互いの理解につとめる」ことが根本的な解決方法です。神様に頼れば『針があるからこそ成長できる』と言うことさえできます。

人と交わりを持ち、他者と『一緒に生きる』ことを目指せば、お互いの針が必ず気になってきますが、神様に頼ることによって成長できる素晴らしい世界があります。

時に嫌なことや煩わしいこと以上に良いものが与えられる、神が与えてくださる恵みがそこにはあります。『人生は一緒に生きるがベスト』~年を重ねることを通して、学んだ恵みを感謝致します。

「鉄で鉄を研ぐように、人の心も他の人の心との触れ合いによって成長する。」         (箴言27:17 現代訳)

2024年11月12日 小坂圭吾 


2024年10月18日金曜日

祈り「人生はテストである」

衆議員解散の報道

第50回衆議院総選挙

自民党総裁選は石破茂総裁が選ばれ、野党の立憲民主党代表選は野田義彦代表が選定されました。その後、国会が召集され石破茂総裁が総理に就任し、衆議院は10月9日解散されました。

第50回衆議院選の日程が「15日公示―27日投開票」と決まり、事実上の選挙戦に突入しています。総裁選も代表選も、この経過を新聞、テレビでつぶさに見て、党員になったつもりで誰に投票するかを考え、自民党は石破茂氏に投票するとしました。

石橋茂氏が決選投票の厳しい中で当選を果たし、本当に良かったと感じています。今回の総選挙は、自民党にとっては、大変厳しい選挙になりそうです。

石破茂総理はクリスチャン

石破茂氏は、キリスト教プロテスタント信者であることを公言してはばからない人です。もう10年ほど前ですが、友人が招待してくださり「国家晩餐祈祷会」に出席した時、石破氏があいさつをされ、曾祖父のことについてお話をされたことを覚えています。

石破内閣がスタートして解散まで、どのようになるかテレビを通じて色々な角度からの番組を見ました。

あるテレビ番組で、作家で元外務省主任分析官である佐藤優氏(同志社大学神学部卒、カルバン派教会出身のクリスチャン、石破茂研究を密かに行ってきた由)が出演されて、「石破氏のことは同じ信仰者として考えていることが良くわかる」と他の解説者とは違う視点で語られました。

私も改革長老派の教会の一員ですので、“さもあらん!”と佐藤氏の話に共感しました。石破茂総理の信仰的背景を少し紹介いたします。

神代植物公園・バラ園

牧師である曽祖父の強いDNAを継承

「政治が感動を起こさなければいけない。有利だからやる、不利だったらやらない。それは私の生き様ではありません。」と語る石破茂氏、過去最多の5度目の自民党総裁選への挑戦でついに勝利しました。

彼には、愚直で誠実といったイメージがあり、安倍一強という権力と敵対し、長らく閑職に干されようとも立ち上がり、不屈の精神の持ち主ですね。それは、彼のキリスト信仰心であろうかと思われます。

石破氏は、小さい頃から母親に連れられて日本基督教団鳥取教会に通い、そこで18歳の時に洗礼を受けました。

鳥取から上京し、慶応義塾高校、慶応義塾大学に進学後は日本キリスト教会世田谷伝道所(現世田谷千歳教会、改革派の流れをくむ教会)に出席し、教会学校の教師も務めました。

石破氏がしばしば語られる先祖のことですが、母方の曽祖父は、同志社英学校(後の同志社大学)の創立者である新島襄から洗礼を受けた金森通倫(みちとも)です。

熊本バンドの一員として新島襄先生に弟子入りをして牧師になり、一番弟子と言われて新島先生が病に倒れられた後、同志社の総長代理となられました。石破氏は、この曾祖父のDNAを受け継いでいるとの意識があるようで、4代目のクリスチャンです。

石破氏が総理として神さまの御心にかない、その御用のために神様が十分にお用い下さるようにと、皆で執り成しのお祈りをしていきたいと思います。

神さまの視点から~人生はテストである

石破氏は、神さまによって自民党総裁に選ばれたと思っていると推察致します。過去最多の5度にわたり自民党総裁選へ挑戦して勝利できたのは、キリスト信仰による以外に考えられません。

私たちが人生をどう見るかは、私たちの人生を決定し方向が決まるのです。神さまの視点から私たちの人生をみる~それは聖書によりますが、私はイメージとして、人生はテストであると理解できたとき、大きく目が開かれました。

これは、聖書全体に見られる考え方です。私たちの人生はテストの連続で、神はテストを用意し、私たちがどのように応答するかを見ておられます。

様々な問題、失敗や成功、衝突、病気、失望落胆、人間関係のもつれ、猛暑や長雨等の天候に対して、どのように応答しているでしょうか。

神さまは、非常に小さいことも誰が見ていなくても、すべてに目をとめておられます。人生はテストであると分かると、人生に無意味なことなど一つもない、一つ一つが私たちの成長に欠かせないもの、試されることによって成長し、その真価が明らかになるのです。

ばらばらに見えるような人生の断片が、神さまにあっては全てが意味を持ってつながっているのです。

アブラハム・リンカーン

アメリカ大統領のアブラハム・リンカーンの人生ですが、「失敗と不幸と挫折」という文字が、彼の生涯について回りました。彼は、聖書と祈りにより力をいただき、倒れても素早く起き上がりました。

彼は決してあきらめない~選挙において7度も落選するも七転び八起きの信仰により、困難が訪れるたびに慰めと力を得る聖書のみことばを愛し、すべてのことが働いて益となることを信じたのです。

ある新聞記者にリンカーン答えています。「わたしは、多くの失敗を経験し、失敗のたびに神さまのみこころを学びました。

サタンは、『もう終わりだ』とささやきますが、神さまは、『今回の失敗を教訓としてさらに大きなことに挑戦しなさい』と言われ、私は神さまの声に耳を傾けたのです。」

私たちも、神さまのテストに失敗しようとも、聖書と祈りにより力をいただき乗り越え、信仰が練り上げられ、成長させていただきましょう。

「試練に遭っても、それに耐え抜く人は幸いである。それを耐え抜いたら、神を愛する人々に約束された、勝利者への命の冠を頂くことができるからである。」(ヤコブ 1:12 現代訳)

「主はいつも地上をご覧になっていて、主に心を向けている人がいれば、その人に力を与えてくださいます。」(歴代誌 16:9 現代訳)

2024年10月18日 小坂圭吾

 

2024年9月14日土曜日

喜び・感謝「天国を目指して、走り抜く」

国会議事堂
総裁選・代表選はいかに?

いよいよ岸田首相の後継を選ぶ自民党総裁選が告示されました。過去最多の9人が立候補し、上位2人の決選投票にもつれ込む公算が大のようです。

一方、野党の立憲民主党も代表選が行われ、4人が立候補し論戦を交わしています。各候補者はそれぞれに支持を集めるべく走り回っています。

私は、それぞれの党員であれば誰に投票するかを考えるべく、熱心に新聞を読み、テレビでの討論を見ています。さてさて、この結果はどのようなことになるでしょうか?

そういえば、今から15年ほどまえ、当時の民主党の圧勝により政権交代がなされた直後、当時の民主党議員のお世話でJASS(日本セカンドライフ協会)の仲間と国会議事堂を訪問したことを思い出しました。

国会議事堂訪問

その時は、衆議院議員選挙直後であり、特別国会開催に向けての準備もされつつありました。1936年(昭和11年)に完成した国会議事堂は、70年来のリニューアル工事で、昔の汚れを落として白い輝きを取り戻して、花崗岩の外壁が現れていました。

かつて、アメリカのワシントン国会議事堂を訪問したときのことを思い出し、それと比較して、さすがに日本らしい立派な造りであると思いました。

床は大理石、赤じゅうたん、窓と天井にはステンドグラス、中央広間の壁画等々です。議事堂の正面向かって右が参議院、左が衆議院となっていて、両院の議場はほとんど同じですが、参議院のみ議場の正面中央が国会開会式のときに天皇陛下が臨席されるお席があります。

中央広間には、議会政治の基礎を築くのに功労のあった伊藤博文、大隈重信、板垣退助の銅像が建っています。台座の4人目は、誰にするか決まらなかったために空席でしたが、「政治に完成はなく、未完の象徴」との意味もあるとのことです。

日本の政治は、今後どのようになるのか、私たちが祈っていくべき課題です。

練習8割がカギ、走り抜く

今月の読売新聞に、マラソン1510勝の戦績を残した時代の証言者瀬古俊彦が連載されています。彼の活躍ぶりは、あちこちで見ましたが、今では正月の箱根駅伝の解説者としておなじみです。

この連載記事を読みますと、「マラソンは素質2割、練習8割で、練習をどれだけ積めたかが、大きなカギを握る」と書いてあります。

具体的にその練習の様子がつぶさに書いてあり、素質だけで走っていた瀬古選手が、「練習が8割」を実行して、次々と大きな大会で優勝する様子を見て、驚きであり感動を与えてくれました。

そこに至るには、中村清監督という良き指導者との出会いがあった事も忘れてはなりません。まさに練習を積み重ねて走り抜き、マラソンは楽しく、自由自在に走れたと言っています。

天国を目指して

私たちも、自分の仕事、家庭、教会等において、自分のやるべき働きに一所懸命取り組み、走っています。クリスチャンの目指すゴールは天国ですが、この天国へのマラソンを走り抜きたいと思います。

若い時は、自分の力で走り抜こうとする事が多く、それでも何とかなる時もあります。しかし、やることが一杯でいらいらしている自分、疲れきっている自分が多いのではないでしょうか。

その事に気がつき、神様にお祈りしますと不思議と平安と力が与えられます。神様を忘れて自分でがんばる姿は、神さまのエネルギー、スタミナを欠いた状態、車でいうガス欠です。

自分で変にがんばらないためには、主との関係をしっかり保ち、聖書を読み祈ること、そんなこと当たり前!そうです。当たり前のことがきちんとできれば、熟達したクリスチャンなのだと思います。

マラソンは、どれだけ練習を積み重ねたかがカギですが、私たちには、それにあたる毎日聖書に親しみ、主に祈る生活をやっていきますと、自分でがんばろうと力を入れなくとも、案外、物事はスムースに進みます。

スムースにと言う意味は、ジグザグはありますけれども、主の御手の中で導かれていきます。人生というマラソンにおいて、このエネルギー不足、スタミナ不足にならないように毎日、聖書とお祈りによって神さまのエネルギーを補充していただきましょう。
 

「主はいつも地上をご覧になっていて、主に心を向けている人がいれば、その人に力を与えてくださいます。」(歴代誌2、16:9 現代訳)


2024年9月14日 小坂圭吾

2024年8月20日火曜日

今を生きる「人生を豊かに快く」

箱根湿生花園

歳をとってみないとわからない

70歳を過ぎた頃からですが、「人生は、年を取ってみないとわからないことがある!」と次第に感じていました。そのために、それ以上の年齢の方々が書かれたものを色々と読み始めました。

人生における様々な事柄に、どのように対処していくかの知恵は、諸先輩方からいただくのが一番であろうと思うからです。先日『実践、快老生活』(渡部昇一著、PHP新書)を読みました。

著者は、カトリックの信徒で上智大学教授として長く教鞭をとられ、86歳になった時に、「快き老いの生活」の方法について、率直にレポートしようと書かれた本です。

私自身、クリスチャンとしてすでにやっていることが多くありますが、共感した、同感であると思った事柄、その通りだが忘れていてこれを契機に再度ねじを回して実行しようと考えたこと等がありました。

今回も本を読み、重要と思われ所には線を引き時にメモを記入し、読み終わると、教えられたポイントを3つほどに絞って赤線で淵にマークして印をつけ、私のスケジュール日記帳の読書リストに書きつけます。

これを読み返すと、それだけで教えられことが蘇ります。

伝えたいこと

著書から刺激され反省したことは、毎日、決まった時間を割いて仕事にとりかかろうということです。

現役の時ならば、決まった時間に色々とやることが次々とあるのですが、第2の現役の始まりの時、このことは最重要と思い、朝9時には仕事を始めることとしました。

喜寿を超えた頃から、第2の現役を卒業して第3の現役と言いながら、少し甘くなってきていました。

何時間も机にしがみつかなくてもよいので、毎日同じ時間を決めて、何らかの知的な作業をする、勉強する、本を読む等の習慣を持つことをしようと再確認しました。

何らかの知的な作業はやっていましたが、目的意識というか、時間というか、やることがやや漫然としていたかなと深く反省しました。

ところで、今年も猛暑の日々でエアコンをつけ暑さをしのいでいますが、各部屋にエアコンをつけるだけですと、廊下に出ますとアチチとなります。

もう10年になるかなと思いますが、2階の事務所兼書斎部屋にエアコンをかけてドアを開け放しにしたのです。すると冷たい風が階下に降りていき、更に送風機から風を送ると、1階の廊下そして各部屋まで涼しくなるのです。

暑い夏を過ごすには快適ですし、電気代は多くはかかりません。

ブログの締め切りに追われて

このブログを書くのに、どうも締め切りに追われてやることがこの半年ほど多かったかなと感じています。これに対しては、「まず書き始めることが大切」ということを再確認したのです。

ある程度の構想を立てて、とにかく書き始めるのです。書いていくと、最初考えていたこととは違った方向に進んだり、あれどうだったかなと本棚を見て調べたり、紆余曲折しながらも次第に形になっていくものです。

このブログも、とにかく書き始めようと決心し、家庭礼拝で妻に祈ってもらって始めました。最初設定したタイトル、イメージとはとはかなり違ったものになってきました。

やはり書いてみて、この方向を膨らませるのが良いと分かってきたからです。ある程度のネタがそろう、構想が出来たら、とにかく書き始めることが大切ということは、ブログを書き始めてしばらくして発見した事でもありました。

初心に帰った思いがしています。 

                      

人生を豊かに快く

この本を読んでいる時に、教会で長年お世話になったS長老が天に召されたとの電話が入りました。今年はS長老に会いに行こうかなと、思っていた所でした。

同じような世代の長老が教団全体で5人ほどいますが、私が一番若く?このメンバーで約10数年前に、箱根に1泊2日の長老懇談会を企画して、楽しく交わりをしました。

この時のことが思い出されて、「早く会っておけばよかったなあ。天国でまた会えるとしても、身近な人間関係や教会関係、家族関係などを楽しく感じながらの生き方が、やはり大切だな。」とつくづく思いました。

人生100年時代ということで、3つのこと~人に会う/本を読む/旅をする~ことを意識しています。人生を豊かに快く、かつ人々に役立つことをしていくには、これが基本だと思わされます。

色々な刺激を受けて、沢山の学びが得られると、その分人生は楽しくなります。人生は「人・本・旅」を通して豊かに楽しくなるのです。

これらを意識してやる中で、良いことを思いついたら出来るだけ実行に移していきたいと願っています。

「心に楽しみのある人には毎日が宴会である。」(箴言 15:15)

2024年8月20日 小坂圭吾

2024年7月29日月曜日

今を生きる「あるべき姿を求める」

網走・知床原野
大谷翔平&イチロー

ロサンゼルス・ドジャーズ所属のメジャーリーガー大谷翔平選手の活躍は、素晴らしいというか、驚きというしかありません。彼の昨年度の活躍は、WBC優勝、HR王、プロスポーツ史上最高額での移籍等々、そして更に今年の驚異的な活躍ぶりは、毎日のニュースが楽しみです。

思えば、MLB時代のイチロー選手が活躍をしていた頃も、目を見張るものでした。イチロー選手の野球史上に燦然と輝く記録もさることながら、その背景にある彼の野球への取り組み姿勢が、私には一番の着目点です。

イチローのすごさは、打撃技術もさることながら、試合への取り組み方、あらゆることに万全の準備をすることです。

例えば、健康管理、けがをしないために、クラブハウスでフカフカのソファに座らないでパイプイス、それは長く座ると腰に負担がかかる。

自分をコントロールして精神的にマイナスにならないようにするために、三振しても凡退しても堂々と胸を張ってベンチに戻る。

体力作りについては、彼オリジナルの方法で厳しく鍛錬している。あらゆる面において、どうあるべきかを考え追求しているのです。

打撃技術については、アメリカのピッチャー総てが必死になって研究を重ね戦いを挑み続けて来るのですから、イチローも必死になって考え、工夫を重ねて新しい打法を編み出し走り続けたのです。

大谷翔平選手についても、このような面から、深堀されたNHKスペシャルがやがて企画され、放送されることを期待しています。

一喜一憂しない  

大谷翔平、イチローの姿を見て、私たちの日常生活に模範として取り込むには、あまりにも差がありすぎます。「どうあるのがよいか?」と常に考え実行しているプロセスでは、そこまでやるかと思うほどです。

ひと言で言えば、鍛錬と節制と研究だろうと思いますが、そのなかで参考になることも多々あります。

イチローの場合、三振しても凡退しても堂々と胸を張ってベンチに戻り、素晴らしいことを成し遂げても冷静です。自分をコントロールして一喜一憂しない彼の姿です。

私たちの日常生活の中で、とかく一喜一憂が多いのですが、どうあるべきかを教えてくれます。

あらゆる事に万全を尽くしての準備を怠らないイチローですが、「打撃と言うものには、これでいいと言う形はない。従って、答えもなければ、終わりもない。」との言葉のように、彼は、常に理詰めで考えてあるべき姿を探し続けたのです。

サルスベリ

人生の模範にならう

先日、切り抜きしていた記事の中から、こんな記事が目に留まりました。

「私は、牧会していて、つらいことがあるたびに、ハ・ヨンジョ師(韓国・オンヌリ教会主任牧師)のことをよく思い出します。生前、ハ先生の健康な姿を見たことがありません。

8回の肝臓ガン手術と、週3回の腎臓透析を受けている中でも、出来ることは全てしておられました。若き日に病にかかってから、生涯「総合病院」という別名を持って生きておられましたが、病のために精神的に弱くなった姿を見たことはありませんでした。

ハ先生は病で身体は弱くなっていましたが、それによって謙遜を学び、病を通して神様が働かれることを見たと証しておられました。」(チョ・ションミン、「リビングライフ」より)

生前のハ・ヨンジョ先生は、大変な闘病生活を送る中、出来ることを全てしておられた、素晴らしい生き様、人生の模範を示して下さいました。

少し前までですが、妻が教会と我が家で、月に2回ほど子供たちを集めて、習字教室を開いたことがあります。お手本をしっかりまねる子は、見る見るうちに上達するそうです。

習字は、いつもお手本を見て、あるいは、お手本の上に紙を置いてその上から書いていきます。そうすると間違いなく腕があがります。模範・お手本と比較をして、違いを見て改善していきます。

私たちの人生のあるべき姿は、聖書にその模範があります。パウロは、「私にならう者となってください。」(コリント4:16 新改訳)と言っています。

パウロと比較して自分を見て、その至らなさに着目ではなく、パウロの信仰にならおうというのです。

模範を見て、自分の出来ることをやっていく。自分は自分でしかなく、模範にならいつつ自分らしさを発揮しながらやっていくのです。

イエス様や使徒たちの模範を見て、自分の足りない部分については、主の助けをいただきながら改善をし、イエス様にならう者として励んでいきたいものです。

「このように、主であり先生であるわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた、互いに足を洗うべきです。わたしがあなたがたにした通りに、あなたがたもするために、模範を示しました。」(ヨハネ13・14-15 現代訳)

2024年7月29日 小坂圭吾