紅葉(バンクバーよりの便り) |
今年も思い返しては、昔読んだ良書を取り上げて読んでいます。
10年ぶりに読んだものが『よく生き、よく笑い、よき死と出会う』(アルフォンス・デーケン著/新潮社)、私の所属する教会で講演をしていただき、その時に購入して読みました。
これを読んでブログを書こうかなと思いましたが、もう少し死についてて研究を重ねることにしました。
5年ぶり読んだ本が『三浦綾子さんのことばと聖書“100の祈り”』(込堂一博著/いのちのことば社)、この本の著者(牧師)は、旭川に導かれて三浦綾子さんと交流があり、本書を書かれました。
著者とは、ある教会の日曜礼拝でお会し、その時この本を買い求めました。
最近何となく”人生の目的”が気になり、何年振りかに新しい本を手に入れ『人生を導く5つの目的』(リック・ウオレン著/PDJ)を読んでいます。
1日1章、ペンとマーカーを持ちながら1章を読み終えると、質問について考えます。教えられたことについては、家庭礼拝で時々分かち合いをしています。
関係こそ人生のすべて
『人生を導く5つの目的』を始めて読んだ時、私が最も衝撃を与えられた事は、“神は、関係こそ人生のすべてであると言われる“という箇所でした。“関係は人生のすべてであって、一部ではない”ということです。
神を愛し、人を愛することが最も大切なことは理解していますが、“関係こそすべて”という具体的なレベルで実行できているか、認識しているか?きわめて弱かったのです。特に人との関係のため力を入れることは、優先順位のトップにありませんでした。
優先順位が高いというのは、どれだけの時間をそのために費やしたかによって図ることができます。“関係こそすべて”ということに気がついてから、そのことの努力をするようになりました。
人間関係は、煩わしいことも多くありますが、お互に交流することを通してこそ、私たちの人格もまた磨かれていきます。
一緒に生きる
色々と良書を読み返し(再読・再々読等)ますと、新しく読む本以上に、教えられることが確実にあり、そうだったなと新しい気づきもあり、良書を読み返す楽しみです。色々と本を読んだ後で、誰かに話したくなるものです。
他の人に話すことによって、新しいことに気が付く、相手の反応でより深められるといったことを経験します。話すことによって自分の記憶に更に残っていくとも言われます。
他の人に話す、分かち合うことは、そこには互いに交流し、交わることが当然ながら起きてきます。私たちは一人で孤独に生きていくのではなく、他の人々と関わりを持ちながら、共に神の目的に生きるように計画されました。
私たちは、互いに他者を必要としている存在であり、周囲の人々と“一緒に生きる”ことが神さまのご計画であり、二人は一人に勝るのです。
“一緒に生きる”とは、交流・交わりを持ち、その友情を深めることで、その関係の中で最も大切な「愛に生きる」ことを学んでいくのです。
ヤマアラシ |
ヤマアラシのジレンマ~一緒に生きるがベスト
ドイツ哲学者の作った寓話に由来して、精神分析医が名付けた『ヤマアラシのジレンマ』というお話があります。
「二匹のヤマアラシが温めあおうと近づいたら、お互いの針で刺し合ってしまい、あわてて離れる」というコミュニケーションの魅力と煩わしさを表したお話です。
聖書では、人が互いに交わりを持ち、一緒に成長し、仕え合い、共に礼拝し、伝道することを神は望んでおられると教えています。では、針の問題はどうすればいいのでしょうか?寓話が出した答えは、『適度な距離を保つ』という妥協案でした。
聖書が提示するのは、「キリストのことばを心に住まわせ、競争意識を持たず、要求よりも互いの理解につとめる」ことが根本的な解決方法です。神様に頼れば『針があるからこそ成長できる』と言うことさえできます。
人と交わりを持ち、他者と『一緒に生きる』ことを目指せば、お互いの針が必ず気になってきますが、神様に頼ることによって成長できる素晴らしい世界があります。
時に嫌なことや煩わしいこと以上に良いものが与えられる、神が与えてくださる恵みがそこにはあります。『人生は一緒に生きるがベスト』~年を重ねることを通して、学んだ恵みを感謝致します。
「鉄で鉄を研ぐように、人の心も他の人の心との触れ合いによって成長する。」 (箴言27:17 現代訳)
2024年11月12日 小坂圭吾