2025年11月12日水曜日

喜び・感謝「土に触れて、恵みに生きる」

 

箱根・仙石原 すすき

庭のコンポスター

今年の夏の厳しい暑さには、庭の木々もずいぶん苦労したようです。例年に比べて成長はやや鈍く、水やりも十分でなかったのか、芝の育ちもあまり良くありませんでした。

今年一番苦労したのは、庭のコンポスター(生ごみを入れて堆肥を作る容器)にやってくるネズミでした。春ごろから何度も駆除の仕掛けをしてかなり減らしたものの、秋になるとまた被害が出始めました。

そこで、コンポスターの場所を変え、容器を少し深く埋め込んで入りにくくする工夫をし、ネズミ騒動はこれで一段落となりました。

ここ横浜に引っ越してきて40年以上になります。ごみの分別の一環として、我が家では妻の提案で、生ごみを庭のコンポスターで堆肥化することに取り組み始めました。

二十数年前から、コンポスターを月に一度ほど庭のあちこちに移動させています。そのおかげで庭の土壌は非常に良くなり、土を掘るとミミズなどが顔を出します。

孫たちはそれを見て、喜んだり怖がったりしています。


大震災はいつ?

これからの日本を考えると、私たちはどのように生き抜いていくのかが大きな関心事となります。GDP世界第4位の日本も、やがてインドに抜かれて第5位に転落するといわれています。

大震災も、いつ起きてもおかしくない状況です。

そのような中で一番の課題は、大きな意味での「自衛力」ですが、経済力もそれに深く関係してきます。大震災の発生確率が示されても、「今日明日ではないだろう」と思ってしまい、なかなか実感できないのが現実です。

次に起こる大震災は、復興のために多大なお金や食料、資源を必要とし、簡単には対処できない可能性があります。

資源価格の上昇や、世界的な食糧難の報告もあります。特に日本は自給力が低く、大地震で物流が滞れば、物資が手に入らず深刻な事態となるでしょう。

コンポスターとゆずの木


食料自給率を上げる

政治レベルでの対応は政府に任せるとして、私たちができることは、少しでも自給率を上げること、特に食料自給率を高めることです。

日本の食料自給率は40%以下といわれ、残りの60%以上は外国からの輸入に頼っています。買い物に行けば、日本産以外の食材が数多く並んでいます。

だからこそ、少しでも自分の手で食べ物を育ててみることには大きな価値があります。

結果として、私たちは長年、コンポスターで堆肥を作りながら、毎年、果物3種類、野菜67種類を育てています。

家庭菜園では少量でも、収穫した果物や野菜の味は格別で、「自分で育てた」という実感が大きな励みになります。

食べ物を無駄にしない意識が自然と育ち、暮らし全体が丁寧になります。自給自足には至らなくても、暮らしの中でできる範囲の「自給力」を積み重ねていくことが、これからの時代を生きる知恵となるでしょう。


神が成長させてくださる

「私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。」
コリント 3:6 新改訳)

小さな庭で堆肥をつくり、少しずつ実っていく果物や野菜を見ると、神さまが日々の暮らしにどれほど静かな恵みを注いでくださっているかを実感します。

今年は暑さのため少し手を抜き、新たに植えたものはなく、果物3種、野菜3種の収穫でした。

ゆず(大豊作)、びわとみかん(まずまずの収穫)、シソ(種が多く落ち、今年は大豊作)、オカワカメ(多年草で豊作)、うこん(初冬収穫後に芋を植え付け、豊作)といった具合です。

大量に収穫できるゆずやシソは、近隣や教会関係者に配り、喜ばれています。私たちの働きは小さくても、その小ささを用いて神さまが大きく育ててくださいました。

世界を見渡すと不安の多い時代ですが、だからこそ、自分の暮らしを整え、土に触れて手を動かすことが、心の落ち着きにつながります。

家庭菜園や堆肥づくりは、環境を守るだけでなく、生活を丁寧に受け止め直す時間にもなります。

土いじりは健康にも良く、自給への小さな一歩は備えであり、また、与えられた地と日々を感謝して受け止める信仰の姿でもあります。

この先も、神の恵みに信頼しつつ、今日できる小さな働きを一つずつ続けていきたいと思います。


20251112日 小坂圭吾

 

2025年10月15日水曜日

感謝「平凡な日常を深く大切に生きる」

 

湘南海岸~秋の夕暮れ

敗戦後80

この数か月間、「敗戦から80年」という節目にあたり、敗戦前後の出来事に関する記事を読み、テレビ番組や映画を多く見ることになりました。

また、ウクライナ宣教師の方から現地の戦争下の状況をお聞きしたり、親しい知人から幼少期の戦争体験を伺ったりしました。

そうしたことが重なって、「この日本は80年間戦争がなかった」ということへの感謝とともに、自分の生き方に鞭を当てられたような、姿勢を正されたような思いになりました。

そうした中で、妻が作家・三浦綾子さんの本を読んでいることに刺激を受け、私も手に取って読んでみました。綾子さんの本は家族がそれぞれに買って読んでいましたので、大方書棚に揃っています。

その中から『生かされてある日々』(新潮文庫)を、30数年ぶりに読み返しました。

『生かされてある日々』を読む

本書は、がんの再発の危機にさらされながら、粉ミルク療法で体を支えつつ、小説を連載し、エッセイを書き、各地の講演会に出かけられた様子を、日記という形で淡々と記したものです。

三浦綾子さんは、病と闘いながらも「自分が生きている」のではなく「生かされている」ことを深く自覚し、その使命に導かれて筆を執っておられました。

印象的なのは、「今日も一日やるべきことができた」「今日も講演に行けた」――感謝だ、という何気ない一言の重みです。健康であれば当然と思えることが、綾子さんにとっては命を削る努力の上にありました。

がんを抱え、体調を心配し、下痢がいつ来るともわからず、それにも備える。その中で全国を回っての調査と講演、訪問客や手紙・電話への対応――良いこともあれば、つらいこともある――そして執筆業。

体の元気な人でも大変なことを、三浦綾子さんはどこからその力を得ていたのか。それは、神によって与えられた「今日という日」を、丁寧に、感謝をもって生きる人の言葉だからこそ、彼女の言葉には力があるのだと思います。

「平凡な日常」を生きる

この本と並行して、『平凡な日常を切り捨てずに深く大切に生きること』(いのちのことば社)を再読しました。

これは三浦綾子・生誕100年記念ベストエッセイ集で、綾子さんの信仰生活の核心が示され、「しっかりと生きなさい!」という声が響きます。

「平凡な日常」と言いますが、神様が創られたこの日この時は決して平凡ではなく、毎日が新しいのです。白いキャンバスに今日のことを描けば、間違いなく昨日とは違う絵になります。

そこにある意味を深く掘り下げれば、新しい発見と感謝があるのではないでしょうか。

東京ドイツ村・四季の丘~ケイトウ

三浦綾子さんはこう書いています。

「生きるということは、私は悲しみや苦しみに耐えることであると同時に、平凡な日常を切り捨てずに、深く生きることであるとも思う。

退屈なことのくり返しに耐えるというのは、実は大きな発見への一つの道だと思う。同じことのくり返しに目をやることによって私たちは、それらのものを新しく感じることができる。

うまく説明はできないが、~~神が創り給うたこの世に、1日たりとも平凡な日等あり得ないのではないだろうか。」

弱さの中に現れる神の力

「主はこう仰せられた。『わたしの恵みは、あなたに十分に注がれている。わたしの力は、あなたの弱さの中で十分に発揮されるからである。』」
コリント129 現代訳)

三浦綾子さんは、大きな病と痛みの中で、何度も弱音を吐き、涙を流されたことでしょう。

その弱さのただ中で、神の力を経験していかれました。「もっと健康であれば」「もっと力があれば」と思いがちですが、綾子さんは病の中でこそ、最も深く神の臨在を感じていました。

できないことが増える中で、「今できること」に心を集中させ、与えられた一日を神の賜物として受け取る。その生き方こそ、「信仰によって生かされる」姿ではないでしょうか。

敗戦から八十年という節目に、平和と命を与えられて生きていることの意味を思うとき、私たちは改めて「生かされている」ことの不思議と感謝に立ち返ります。

何気ない一日にも神の恵みが満ちている――その事実に気づき、弱さのうちに働かれる神の力を信じつつ、今日も与えられた日を丁寧に、感謝をもって歩みたいものです。

20251015日 小坂圭吾

 

2025年9月19日金曜日

聖書の言葉「鷲のように上る」

 

知床・オオワシ
まだ秋は来ず!

9月になっても猛暑の日々が続きました。外に出てスポーツを楽しむこともままならず、屋内プールでの水泳やスポーツセンターでのトレーニングに励んでいます。

先月のお盆休みに孫たちが来て、庭でセミの抜け殻を30個ほど集めましたが、暑さのせいかセミの鳴き声はあまり聞こえませんでした。そんな猛暑の中でも、スズメやムクドリ、時には大きなカラスが芝生を悠々と歩いています。真っ黒なカラスには思わず驚かされます。

時折、蝶々も飛んできて、わずかな花々を訪ねています。暑さが続くと涼しい北海道を思い出しますが、近年は必ずしも涼しいとは限らないようです。今日あたりから秋の気配が訪れるのでしょうか。


知床が世界自然遺産に登録

20年前の2005714日、私はツアーで初めて知床を訪れました。その日ちょうど、知床が世界自然遺産に登録されることが決定し、宿泊先のホテルでそのニュースを知って驚きました。

ホテルではお祝いのイベントがあり、知床ネイチャーガイドの方からスライドを用いて自然環境の素晴らしさを説明していただきました。

知床半島中央部には千島火山帯が貫き、海岸線は荒々しく削られています。冬には世界で最も南に流氷が接岸します。流氷は「プランクトンのゆりかご」と呼ばれ、海水に養分を蓄え、プランクトンが豊かになり、サケなどの魚介類を育てます。

秋にはサケが河川を遡上し、ヒグマやオジロワシ、オオワシに捕食されます。動物の排泄物や死骸は植物の栄養となり、陸に還元されます。この海と陸の食物連鎖が評価され、知床は世界自然遺産に登録されたのです。その壮大なサイクルに心から感動を覚えました。

知床では、人間がおじゃましている!

翌日、実際に自然を体験しました。車で移動中に「熊だ!」との叫び声、やがて巨大な角を持つ鹿がゆっくり横切る姿に出会いました。

7月でしたのでサケではなくサクラマスが遡上しており、観光船からは200メートルもの断崖や奇岩群、知床連山を望むことができました。

その雄大な風景を前にすると、悠久のサイクルのただ中に私たち人間がおじゃまさせてもらっているのだと実感します。神様の御手によって、知床は自然の循環系として造られ、すべての命が見えない絆で結ばれているのです。

しかし一方で、知床の現状には課題もあります。国立公園内をバスが走り、ライトで動物を探す行為、人間の立ち入りが動物や植生に与えるストレス。自然を守ろうと言いながら、実際には壊しているのが人間の現実です。

観光や漁業が成り立つのは、すべて自然の恵みのおかげです。この自然を守り抜き、自然と人々の暮らしが調和し、知床が守られるよう心から祈ります。

知床連山

鷲のように上る

知床半島は、オジロワシやオオワシなど渡り鳥の繁殖地でもあります。鷲はその雄大な姿ゆえに「鳥の王者」と呼ばれ、多くの紋章にも描かれます。知床の空を旋回するワシの姿をテレビで見たときの感動はいまも残っています。

その勇壮な姿や、サケを捕らえるときの力強さは、自然から新しい力を与えられる体験でした。この雄大な鷲の姿を思うとき、聖書の御言葉が心に響きます。

「主を待ち望むものは、新しい力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。」(イザヤ書4031節 新改訳)

私たちの人生には、力が尽きて前に進めないと感じるときがあります。仕事や家庭の重荷、人間関係の悩み、健康や将来への不安。その弱さを知っておられる神が、力を与えてくださると聖書は約束しています。

「主を待ち望む」とは、神に心を向け、信頼を置き、神の時と導きを祈り求めて歩むことです。その中で「新しい力」が与えられます。それは、神から与えられる超自然的な力です。

その力は、鷲が逆風をも受けて高く舞い上がる姿にたとえられています。同じように、私たちも逆境に押し倒されるのではなく、神を信頼することでその風を力に変えることができるのです。

「走ってもたゆまず、歩いても疲れない」――これは日々を支える神の力を意味します。人生にはスピードを求められる「走る」時期もあれば、忍耐が必要な「歩く」時期もあります。

主を待ち望む者には、そのどちらにも神が確かな支えを与えてくださいます。知床の自然がすばらしい循環で成り立っているように、私たちの人生も神の御手にゆだねるとき、すべてが結び合い、無駄のない歩みとなります。

私たちが疲れ果てているなら、この御言葉を心に留めてください。主を待ち望む者に、神は必ず新しい力を注いでくださいます。

この聖句を繰り返し何度も読み黙想する中で、私たちも鷲のように高く舞い上がる力を与えられるのです。

2025919日 小坂圭吾

2025年8月11日月曜日

感謝「心に焼き付ける~酷暑の夏、信州での恵み」

上高地・河童橋
季語「酷暑(こくしょ)」

今月に入り、国内各地で観測史上最高気温となる40℃超えの記録が相次いでいます。

先日、自宅の駐車場から車を出そうとエンジンをかけたところ、車外温度計は42℃を示しており、思わず「まるで蒸し風呂だ!」と声を上げました。天井付きの車庫で直射日光を避けていてもこの暑さです。

お天気キャスターによれば、夏の最も暑い時期は7月末から8月上旬が多いとのこと。ということは、これから少しずつ気温が下がっていくのかと、淡い期待を抱きます。

俳句や短歌で季節を表す言葉を「季語」と呼びますが、夏の厳しい暑さを表すものには、酷暑・猛暑・極暑があります。日本気象協会によれば、酷暑日は40℃以上、猛暑日は35℃以上の日を指します。

暑さ対策

皆さんは、この酷暑・猛暑の日々をどのように過ごしているでしょうか。

エアコンは必需品ですが、各部屋に個別で設置していても、廊下に出ると「うわ、暑い!」となることがあります。我が家では、もう10年以上前から、2階の事務所兼書斎にエアコンをつけたままドアを開放しています。

すると冷気が階下に降り、さらに送風機で風を送れば、1階の廊下や各部屋も涼しくなります。冷やす必要のない部屋は閉めておく。この方法で、快適に過ごしつつ電気代も抑えられているようです。

猛暑の中のバス旅行

そんな酷暑の続く中、7月末に信州へのバスツアーに参加しました。計画段階ではあまり時期を考えていませんでしたが、結果的にとても良い季節に行くことができました。

まず訪れたのは、蓼科、ビーナスライン、霧ヶ峰高原、美ヶ原高原。標高1,5002,000mの高原地帯は、直射日光下では30℃を超えるものの、爽やかな風が心地よく吹き抜けます。

ビーナスラインは、30数年前に妻と子どもを連れて車で訪れた場所。いつかまた行きたいと思っていたコースを今回ツアーで再訪でき、懐かしさで胸がいっぱいになりました。

妻は若いころは旅行好きではありませんでしたが、近年は次第に楽しむようになり、今回も満喫してくれたようです。

翌日は上高地へ。長野県松本市にある標高約1,500mの山岳景勝地で、特別名勝・特別天然記念物にも指定されています。清らかな景色は多くの人を魅了し、何度も訪れるファンも多い場所です。私も今回で3回目(前回は78年前、一人旅)でした。

穂高連邦・岳沢・梓川
心に焼き付ける

上高地のシンボル〈河童橋〉からは、穂高連峰や岳沢、梓川、反対側には焼岳を望むことができます。

アクセスも良く、周辺には土産物店やホテルも並び、観光客で賑わっています。今回は河童橋を渡り、川沿いの日陰のベンチに座ってお弁当を広げ、絶景を眺めながら1時間ほど過ごしました。

そのとき意識したのは「写真ばかり撮らず、景色をじっくり味わい、心に焼き付ける」ということです。以前、一人旅で丸一日カメラを構えて過ごしたことがありました。

帰宅後、写真はたくさん残っていたものの、心の感動は薄く、「自分はいったい何を見てきたのか」と感じたのです。後日、同じ経験を語る本の著者の記事を読み、深く共感しました。

それ以来、撮影は控えめにしようと心がけ、今回は特に徹底しました。その結果、上高地での2時間は、景色を存分に堪能し、心の目で見て記憶に刻み、自然と深く向き合う時間となりました。

帰宅後も数日間、その余韻は消えませんでした。

感動する心を保つ

感動する心を生涯失わないように」――これは中年期によく考えていたことです。数年前、自分の感受性が少し衰えていることに気づいたとき、逆にそれを感謝しました。

最近では、夕食時に美しい夕焼けや上弦の月を見て思わず箸を止めることがあります。家庭礼拝で聖書を読むときも、何度も読んだ箇所なのに「新鮮だね」と妻と語り合うことがあります。

日々の出来事の中で、ほんの小さなことにも心が動かされ、気づかされる――そのことを感謝しています。神との交わりにおいても、心から感謝し、悔い改め、痛みをもってとりなし、心を注いで祈る者へと少しずつ整えられていきたいと願っています。

私は山に向かって目を上げる。                               私の助けはどこから来るのだろうか。                        私の助けは天地を造られた主から来る。」(詩編121:12 現代訳)

2025811日(山の日)小坂圭吾 

2025年7月15日火曜日

コーヒーブレイク「羊群社について」

 

マリーゴールド(和名:千寿菊)

雑誌「羊群」(A5版)について

私の所属する聖書キリスト教会・東京教会は、前身は山手線・高田馬場駅近くにあった「高田馬場教会」です。尾山令仁先生が19533月、高田馬場の路傍に立って開拓伝道を始められた教会です。

その後、枝教会がいくつもでき、教団名が必要となり、「パイオニアスピリットを持った聖書に堅く立つ自主独立の教会」として『聖書キリスト教会』と名づけられ、現在の東京教会として再スタートしました。

19634月、大学1年生だった私は、大学構内でKGK主催の講演会をきっかけに尾山先生の高田馬場教会へ導かれました。

日曜礼拝では「教会新報」という週報が配られ、尾山先生が大切なことを記しておられました。毎週新しいニュースが掲載されており、求道中の私はこれを熱心に読み、信仰に導かれる懸け橋となったことを覚えています。

雑誌「羊群」創刊号

また、尾山先生が編集長を務める雑誌『羊群』(A5版)も月1回発行されていました。19616月から雑誌形式になり、「あなたに使命と生きがいを与える雑誌」と銘打って出されていました。

内容がまとまると書籍として発行され、この雑誌『羊群』と書籍を発行していたのがキリスト教出版社「羊群社」です。私たち教会員は、礼拝と祈祷会、そしてこの雑誌と書籍を通して信仰を養われていきました。

教会としての文書伝道機関

尾山先生は礼拝と祈祷会を大切にされるとともに、文書伝道にも大きな情熱を注がれました。依頼があればさまざまな本も執筆されましたが、中心は『羊群』誌に掲載された記事をまとめて、羊群社から刊行するという形でした。

『羊群』誌は読み捨ての記事ではなく、時を経ても価値を失わない内容を掲載することを願って編集されており、書籍化はその表れです。

雑誌を継続して揃えておけば、それだけで何十冊分の価値があるとされていました。私も若い頃はバインダーに入れて本棚に入れていましたが、書籍化されるとわかってやめたことを覚えています。それでも何冊かは今も書棚に残しています。

このように、聖書キリスト教会の文書伝道機関である「羊群社」は、このブログを運営するPDJ・ロゴス出版社とは兄弟会社です。

このたび、PDJ・ロゴス出版社のホームページから羊群社の書籍の注文ができるようになりました。ぜひご活用いただければ幸いです。

主な書籍は以下の通りです。

聖書の概説、聖書の講解、聖書の教理 創世記、マタイ、ルカ、ヨハネ、ローマ書、エペソ書等の講解書 信仰生活の手引き、キリスト教式文 ほんとうの祈り、キリストの生涯、生きて働かれる神死後のこと/キリスト教/性について本当のことを知りたい

文書伝道に携わる恵み

ビジネス時代には転勤もありましたが、母教会である聖書キリスト教会・東京教会を変えることなく信仰生活を送ることができました。

地方勤務の折には地元の教会に通い、月1回は母教会の礼拝に出席し、奉仕にも携わってきました。

中年期には教会新報の編集長を務めたり、『羊群』誌に数年にわたり記事を執筆したり、羊群社の4代目社長も担当させていただきました(経営者といっても無給の奉仕です。雑誌『羊群』編集長であった尾山牧師も無給です)。

羊群社の中心書籍である『現代訳聖書』は、尾山先生が30余年かけて翻訳されたもので、聖書キリスト教会の30周年記念事業の一つとして198310月に初版を刊行しました。その際、現代訳聖書刊行会の代表としての責任も担わせていただきました。

先輩の長老が当然任命されると思っていましたが、「これから先長く続くので、一番若い長老がよい」との理由で私に白羽の矢が立ちました。

以来、今日まで担当させていただいていることは、感謝であり大きな恵みです。(この立場ゆえに、『現代訳聖書』をしっかり読むことが求められます。)

開拓伝道の精神を受け継いで

日本の教会は、どれほど成長しても、クリスチャン人口が数%である限り、なお開拓伝道の途上にあります。

「一にも犠牲、二にも犠牲、三にも犠牲をささげる開拓伝道の精神を、教会もこの文書伝道機関も忘れてはならない」――これは羊群社の創業者が語った言葉であり、今も新しい響きをもつ言葉です。

特に文書伝道に携わる者として、この精神を持ち続けたいと願っています。同時に、皆さまの支援によって支えられていることを深く感謝いたします。


「すべての事について、感謝しなさい。」( 第テサロニケ 5:18


20257月15日 小坂圭吾