2025年3月20日木曜日

感謝「老いには逆らえず、されど恵み多し」

 

小田原フラワーガーデン(梅まつり)

突然のコロナ、インフルエンザ、風邪

冬になり突然襲ってきました。2年前の12月、突然夫婦共々新型コロナウイルスに感染し、ついにやられたかと思いました。人ごみを避けてはいたのですが、どこから感染したかは不明です。

続いて昨年12月、今度はインフルエンザに感染、記憶では10年余りかかった記憶がありません。

更に今年の2月、風邪にかかりました。これらの一連の流れを見て、加齢かなと思うとともに、コロナに感染すると相対的に免疫力が落ちるのかな?と自分勝手に推察しました。

最後の風邪は、疲れがたまっていたのでやられたなと思っています。この話をいつもの散髪屋のおかみさんに話すと、「コロナにかかり免疫が落ちたと言う人が多いようです!」と言われました。

ネットで調べてもそのような事実は出てきませんが、私にとっては、冬にはとにかく気をつけねばなるまいと自戒しています。

原因はあるはずだ!

毎日B6サイズの手帳を使って、スケジュールと簡単なメモ~~その日にやったことや健康上のチョイ悪メモ(赤字で記入)を記入しています。それをめくって、これらの原因を考えてみました。

最後の風邪もコロナもインフルエンザも、色々とやり過ぎて疲れがたまり、加齢もあって、免疫が落ちてきて感染したのかなと分析しました。あれやこれとやりすぎ、まだ若いと思って疲れを感じる感覚も鈍くなり、気が付けばダウンをしている。

高齢になると免疫力そして体力が落ちてくるもの。筋トレとウオーキングに励んでいますが、80歳前後から年相応の体のガタが来て、否むことができません。

モーセの働きを見ますと、80歳にして、エジプトで奴隷にされ苦しんでいる民族を救い出すように主から命じられ、想像を絶する試練の中、その使命を果たしました。よくぞあの歳であそこまでの働きが出来たなと思わされます。

ヨシュアは、85歳の時にモーセの後を継いだと考えられ、「年を老いたが、まだまだしなければならない仕事が残っている。」(ヨシュア記13:1 現代訳)と主から命じられ、驚くべき力を与えられ、その使命を成し遂げました。

聖霊によって、外なる人は衰えても内なる人は日々新しくされ、新しく生きる力をふんだんに受けて、若返って鷲のように力強く飛ぶことができたに違いありません。


後ろのものを忘れる

若い頃(50歳代まで?)は、疲れてダウンしても(風邪でも)1~2日で(あるいは一晩で)回復するぞと祈って寝る、すると翌朝は起きることが出来ました。

大学生の孫が、この冬何回か風邪にかかるもバイトを休めないので薬を飲んで熱を下げてバイトに行くと言っていました。若い時はそうであったなと思います。

ちなみに、大学生の孫は、月に数回ほど来てくれて、庭仕事、家の仕事を色々と手伝ってくれます。今までは、夫婦で出来たことが大変になり、孫の手を借りることにしたのです。

アルバイト代を出してやりますが、アルバイトを通して社会人としての大切なことを教えています。今は、二人目の孫が来ていますが、やがて3代目、4代目と続きますので、とても助かります。

現在の私は、今や風邪でも3日間いや5~7日間ほどかかり完治という具合です。過去の元気な頃のようにはいかないことは、それなりにわかっている!いえわかってないようです。

過去を振り返って、かつてはそのように出来ても、現在はそうではない!考え方を変える必要があります。

老いても~~恵みは尽きず

「老いては子に従え」~~その意味は「年をとったら子供の言うことを聞くのがよい」ですが、年をとったら我を張らず、何事も子に任せて従うのが良い、という高齢者のあり方を言い表したことわざです。

喜寿を過ぎた頃からそのように心がけてはいます。とはいえ、引退ではありませんが、年を重ねないと分からない事が、この人生にはたくさんあります。その意味では、高齢者の果たす役割も多くあると考えます。

過去に起こった全ての出来事は、良かったとは言えませんが、良い事、悪い事すべては、神さまの御手の中にあって起きたことだと認識しています。

更に言えば、あの失敗、つらかったことが、良い事に変えられていったことを忘れることができません。マイナスがプラスになる、年を重ねるとそのことが明らかに理解できるのです。

ばらばらに見える人生の断片が、意味を持ってつながってくる、これは素晴らしい恵みです。感謝に尽きません。

「~~~後ろのものを忘れ、前のものに向かって前進しており、~~~目標に目指して一心に走っている。」(ピリピ4:13~14 現代訳)

「若者の美しさは力であり、年寄りの美しさは、白髪である。」

(箴言2029 現代訳)

2025年3月20日 小坂圭吾

2025年2月11日火曜日

喜び「HERE AND NOW(今ここに)」

 

日本一寒い町・陸別町
花粉症~早めの対策がカギ

今年に入り、1月中旬にスギ花粉が飛び始めたと!「シーズンの飛散量は、全国平均で平年の1.5倍以上になる」との「ウエザーニュース」の予想です。

先日、NHKテレビで花粉症についての放映があり、花粉症が始まっても速やかに薬を使い、早めの対策がカギであるとの報道がなされました。

私がこのことを教えられたのは20年以上も前のこと、かかりつけ医の方から、点鼻薬でしたが正月明けからすぐに点鼻薬を使って毎朝1回つけて、花粉症の厳しいときは14回までは使っても良いとの指導でした。

その通りに実行すると楽に日々を過ごせました。花粉の多い時には厳重に対策をして、何とか1日過ごせました。国民病と言われるにもかかわらず、予防対策の指導が遅い、徹底しないなあと感じたのは、私だけでしょうか?

早く予防を始めれば、確実に効果はあり、お勧めします。

寒い冬、初めての北海道

立春を過ぎても、今年の冬は寒く厳しいですね。寒い冬と言えば、初めて北海道に行ったのが厳冬2月で、もう50年以上前になります。

岡山という温暖育ちには興味津々で、零下の中での生活など予想がつきません。帯広空港まで飛行機で飛びましたが飛行機を降りるとジンとくる冷たさ、寒さは、記憶によみがえります。

電車に乗って陸別まで行きますが、その電車が2重窓には驚きました。夕方になると外の窓ガラスばかりでなく、内側の窓ガラスまで少し凍ってきているようです。

陸別駅に着いて妻の実家の部屋に入ると、中は30℃近く、半そで一枚で過ごせる温かさです。外は零下15℃くらいで、一番寒いときには、零下25℃になるそうです。

暖房といえば、当時は石炭もしくは薪を使って一日中燃やしていましたが、深夜も一晩中ストーブを燃やして寝るのですが、朝起きると口のあたりに霜柱がついていてびっくりしました。

暖かい部屋で、北海道の開拓の歴史を聞かせていただきました。彼女の祖父たちが開拓民としてこの地に入り、大変な苦労をされました。祖父の時代に陸別郵便局を開設し、2代目が彼女の父でした。

北海道開拓の1ページ、当時の人々の開拓魂により、陸別町があるのだと思いました。

外は、雪一色の銀世界で、日本で一番寒い地、日本一しばれる町陸別です。今でも、毎年NHKが昼の番組で、寒い陸別町から何がしかの様子を放送しています。

HERE AND NOW(今ここに)

北海道・北見の出身で大学の同窓・同期の知人がいますが、彼は囲碁では素人の最高位を取得しています。大学校友会・囲碁会の集まりで知り合ったのですが、北海道の寒い冬は、家の中で過ごすしかなく、そこから囲碁にとりつかれたと聞きました。

私はアウトドア派ですので、1日家にいるのが苦手ですが、寒い冬は、家の中で静かに読書がいいでしょうか。かつて読書会をした本、『いま、ここに生きる~生活の中の霊性』(ヘンリ・ナーウエン著/太田和功一訳/あめんどう発行)を読みました。

タイトルになっている「HERE AND NOW(今ここに)」の言葉は、40歳代の頃に知った言葉で、とても大切にしていた言葉です。今思えば、この本が書かれる前に、この言葉に出会ったかなと思われます。

著者は、キリスト者の霊性の教師として世界で広く認められ、尊敬されているカトリックの司祭で、とても読みやすい本です。

今回読み直して、「そうだ、そのように思う」「この数年の経験は、このような意味があり、同感だ」等々共感できる事柄が多くありました。

自分の心と思いを見つめながら読むと「今ここに生きる」ことに繫がってきます。人生経験が長くなると、色々と心のひだが出来、少し深くされたでしょうか。自分の霊性を見つめる良い機会となりました。

2章「喜び」~願望を超えてという文章があります。

「願望と幸福感というものはたいてい、物や出来事とつながりがあります。たとえば、天候が変わったり、戦争が終わることを願います。~~そして、その願望が満たされると幸せな気持ちになります。

しかし希望と喜びは、あなたを永遠の愛をもって愛し、あなたに対してつねに真実であられる方との親しい交わりに根ざした霊的な交わりです。たとえ多くの願いが実現しなかったとしても、~~神が共におられることによって喜ぶことができます。

私の生涯で希望と喜びにもっとも満ちあふれたときのいくつかは、身も心も非常な苦痛の中にあった時でした。」

著者はこの後で具体例を書いていますが、更に、第3章「苦しみ」について展開しています。

私の小さい体験でも、まさかの体験、挫折や痛み等の体験は、それだけに終わらず、その苦しみ、悲しみや痛み等の中に真の喜びが隠されていることを発見するのです。

それらを通して、新しい何かが生まれ「生みの苦しみ」がやがて喜びに変えられ湧きあがるのです。誠に感謝なことです。

「今の私たちの苦しみや悩みは、やがて過ぎ去る苦悩であって、それは、いつまでも続くすばらしい栄光をもたらすものである。」コリント 4:17 現代訳)

2025年2月11日 小坂圭吾

 

2025年1月24日金曜日

喜び・感謝「クリスチャンに引退なし」

 

2006年1月大雪(大寒の頃)

冬の湯けむり

1年で一番寒い季節と言われる「大寒」、朝の寒さは厳しく、朝起きの時間が遅くなりがちで、5時半から6時ごろ起床が6時から6時半になり、日の出が遅く6時過ぎに雨戸を開けてもまだ暗く寒いのです。

リビングのガスストーブには、5時半ごろにタイマーセットで火をつけて、ある程度暖かくなった頃にリビングに降りて行き、キッチンの石油ストーブに火をつけます。

かなり古い石油ストーブですが、しっかりその役割を果たしてくれて、とても暖かいのです。朝食が終わるころ、石油ストーブの上にかけてあるヤカンより湯けむりが上がっているのに気が付きます。

朝の太陽に照らされて、その湯けむりの何とも言えない穏やかな風景、「トー、トー、トットー、トットー」と音を立てながら、冬の心地良い趣を感じるひと時です。

じっと見つめますと、その湯けむりは、どれ一つとして同じものはなく、私たち一人一人が全く違うように造られていることを思い起こさせられます。この湯けむりは、上に上にと立ち昇っていくのです。

前のものに向かって進む

私たちクリスチャンは、後ろの物を忘れて、前のものに向かって進む、新しいことにチャレンジしていくことを求められます。何歳になろうとも、神から与えられた使命を果たすために走り続けることが求められます。

過去の良いことや悪いこと、成功や失敗、順調だったことや挫折した事、栄誉や屈辱、喜びや悲しみ、今も続いている痛み等々、一生の間には、しわの数以上に様々なことがありますが、それらを打ち忘れ前のものに向かって進むのです。

新しい年を迎えて今年はどのような年にしようかとそれぞれが考えたことだと思いますが、要は「過去を忘れ、常に未来に向って、今ここで現在を力強く生きる」ことが求められています。

昨年の秋から、良書に親しむということで、過去に読んだものを取り出してきて、あれこれと読みました。「人生の目的」が気になり、その本もじっくりと読みましたが、次のような事柄にぶち当たりました。

神の御前に立つ

私たちはみな、いつか神の御前に立つことになります。聖書によれば、永遠の世界に入る前に、神さまの審査を受けることになるのです。

「私たちはだれも皆、自分のことについて神に申し開きをしなければならない。」(ローマ14:12 現代訳)

神の審査に対して、どのような申し開きをするのか、その質問についても神さまは教えて下さっています。

第一の質問は、「私のひとり子イエスに対して、あなたはどのような態度をとりましたか」というものです。ポイントは、「あなたは、あなたのために主イエスがして下さったことを受け入れ、彼を愛し、信じましたか」ということです。

神は、私たちが神の御子キリストを知り、愛し、信頼するようになること、神の赦しと救いを受け取ることを願っておられるのです。

第二の質問は、「わたしがあなたに与えたものを、あなたはどのように活用しましたか」というものです。

神が私たちに与えて下さった才能、機会、情熱、経験、人間関係、家族、財産等々をどのように、神さまの目的に従って、有効に活用したかということです。


クリスチャンに引退なし

昨年の秋から、聖書や書籍を読み祈りながら過ごす中で、上記の質問について深く考えさせられました。

第一の質問に対しては、当然ながらしっかり答えられますが、第二の質問に対しては、今までそれなりに努力をしてきたつもりですが、実はこれからどうするかが問われました。

現役、そして第二の現役としてそれなりにやりながら、それなりの年齢(77歳喜寿)を重ねて第二の現役も卒業とさせていただくとけりをつけました。コロナとも重なり、そのような運びになりました。

しかるに、今後も生涯現役でやるしかないのではないかとそれとなく思ってはいました。

今回の学びや恩師の生き方を思い起こしながら、年齢も関係なく、力がある限り、神の目的に従って、自分に与えられたものを人々のために有効に活用しなければならないのだとの思いに導かれました。

クリスチャンには引退は無く、特に伝道・宣教については、私でなければ伝える人がいない人がいるということです。身近にありながら、伝えることをあまりしてないことを悔い改めました。

たとえ、年を老いても「祈る」という働きは、生涯続けることが出来るのです。これから新たな思いを持って、一歩前に進んでいきたいと願います。

「全世界に出て行って、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」

(マルコ 16:15 現代訳)

2025年1月24日 小坂圭吾

2024年12月13日金曜日

感謝「1年を振り返って~良いことを習慣化する」

横浜港シンボルタワー

今年は暑かった!地球温暖化が進んでいる

今年を振り返ると感謝なことが多く思い出されますが、まずは暑い日が多かったなと思います。とにかく、今年は暑かった!地球温暖化がほんに進んでいると感じます。

神奈川県のたより・12月号は、黒岩祐治・神奈川県知事が「地球温暖化を止めるために、一人一人意識し行動していきましょう!」とこぶしを挙げて、叫んでおられます。

神奈川県内でも、大雨や台風の激甚化、海藻類が繁茂する藻場(もば)の消失、熱中症や感染症の増加、高温により米やミカンなど農作物への影響が出つつあります。

一番わかりやすいのが、最高気温35℃以上の猛暑日が急増し、22日も観測されました。40年前は1日でしたが、私は、その頃から横浜に住んでいます。

我が家のエアコンは、当時リビングに1台、今は各部屋に備え付けて、真夏には2台はフル回転です。私は寒いのも暑いのも苦手ですが、温暖な気候に育ったせいでしょう。

妻は北海道育ちですので、寒いのは平気、暑いのも私ほど苦手ではないようです。私にとって、今年の漢字は「暑」です。

温暖化ストップのために

温暖化をストップするためには、CO2などの温室効果ガスの削減が必要です。脱炭素社会の実現に向けて、国も県も企業もそれぞれに取り組んでいますが、私たちにできることは何か?

一番に太陽光発電設備の設置を、県は勧めています。設備費のために数百万円もかけることは、大変ハードルが高いのですが、初期費用を0円で設置できる仕組みもあるようです。

私もすでに設置していますが、そのような仕組みもなくローンを組みました。6年ほどでローンは返済し、電気代の節約と余った電力を売っています。地球にも財布にもやさしい太陽光発電です。

色々と出かけたとき、今までなかったところに太陽光発電の設置を見つけると、「やっているねえ!」とうれしくなります。

今すぐに身近に出来ることはと言えば、無用な電気を消すことです。毎月お世話になる散髪屋のおかみさん(実に腕がいい)と話していたら「我が家では、使わない電気を消しまくっています!」と話してくれました。

毎日の暮らしの中でのごみの分別ですが、月・金曜日~一般ごみ、火曜日~瓶・カン・ペットボトル&紙、土曜日~プラスチックと分類して、歩いて2分の公園側のごみ収集場に捨てに行きます。

そのついでに夫婦2人で1015分散歩ですが、日課としては重要です。公園ではラジオ体操をしている人々、夫婦での散歩、一人歩きの人、犬の散歩の人々と朝の会話です。

寒い朝が苦手な私ですので、時々、妻にお願いと言って私はさぼりです。

千葉県久留里・清水渓流広場

良いことを習慣化する

4回のごみ捨ては、今や習慣化していますので、朝の運動もかねて貴重な時間となっています。

ごみの分別と言えば、もう50年近くも前に、南足柄市に住んでいた時、ごみの分別が始まりました。最初は、手間なことだが良いことだと思いました。

その後、この横浜に引っ越してきて、ごみの分別が十分でなく、数年経過してから、南足柄市と同程度の分別になりました。我が家では、生ごみは、コンポスターを庭に設置して、生ごみを入れて堆肥を作っています。

このコンポスターは、月に1度は、庭のあちこちに場所を変えています。そのため、庭の土地は、とても良い土壌になっていて、土を掘り起こすとミミズが出てきて、孫たちが、喜んだり怖がったりー。

ともあれ、良いことを習慣化するということは、何事であれ、それは楽に出来ることに繫がります。更に言えば、それをしないと気持ちが悪い、忘れ物をしたような気分にもなるのです。

清水渓流広場(濃溝の滝)

習慣については、次の言葉を読んだとき、私の目が開かれました。

「人格とは習慣の総計であり、習慣的に現れる行動のことです。」(リック・ウオレン著『人生を導く5つの目的』第22日~210頁)

これを読んだとき、人格の意味と共に、習慣の大切さがはっきりと認識できました。神に喜ばれる習慣を取り入れることによって、キリストの品性を身に着けることにつながるのです。

この1年を振り返り、良いことで習慣化したことは何かなと考えますと、夫婦二人で毎朝家庭礼拝を持つことかなと思います。ほぼ3年前から始めて、すっかり定着しています。

一人で聖書を読むよりも、二人で分かち合いをしながら読めば、深い学びに繫がります。祈りも深まります。

それまでは、月に一度あるいは数回、あるいは思いついたときとか試行錯誤でした。毎日やり始めて、神さまからの恵みが色々と降り注がれ、感謝です。

更に色々と良い事について習慣化して、更なる成長をと願っています。

「私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの恵みと主を知ることにおいて、成長していきなさい。」(第二ペテロ 3:18 現代訳)

2024年12月13日 小坂圭吾

 

2024年11月12日火曜日

喜び 「人生は一緒に生きるがベスト」

 

紅葉(バンクバーよりの便り)
良書を読み返す

今年も思い返しては、昔読んだ良書を取り上げて読んでいます。

10年ぶりに読んだものが『よく生き、よく笑い、よき死と出会う』(アルフォンス・デーケン著/新潮社)、私の所属する教会で講演をしていただき、その時に購入して読みました。

これを読んでブログを書こうかなと思いましたが、もう少し死についてて研究を重ねることにしました。

5年ぶり読んだ本が『三浦綾子さんのことばと聖書“100の祈り”』(込堂一博著/いのちのことば社)、この本の著者(牧師)は、旭川に導かれて三浦綾子さんと交流があり、本書を書かれました。

著者とは、ある教会の日曜礼拝でお会し、その時この本を買い求めました。

最近何となく人生の目的が気になり、何年振りかに新しい本を手に入れ『人生を導く5つの目的』(リック・ウオレン著/PDJ)を読んでいます。

1日1章、ペンとマーカーを持ちながら1章を読み終えると、質問について考えます。教えられたことについては、家庭礼拝で時々分かち合いをしています。

関係こそ人生のすべて 

『人生を導く5つの目的』を始めて読んだ時、私が最も衝撃を与えられた事は、神は、関係こそ人生のすべてであると言われるという箇所でした。関係は人生のすべてであって、一部ではないということです。

神を愛し、人を愛することが最も大切なことは理解していますが、関係こそすべてという具体的なレベルで実行できているか、認識しているか?きわめて弱かったのです。特に人との関係のため力を入れることは、優先順位のトップにありませんでした。

優先順位が高いというのは、どれだけの時間をそのために費やしたかによって図ることができます。関係こそすべてということに気がついてから、そのことの努力をするようになりました。

人間関係は、煩わしいことも多くありますが、お互に交流することを通してこそ、私たちの人格もまた磨かれていきます。

一緒に生きる

色々と良書を読み返し(再読・再々読等)ますと、新しく読む本以上に、教えられることが確実にあり、そうだったなと新しい気づきもあり、良書を読み返す楽しみです。色々と本を読んだ後で、誰かに話したくなるものです。

他の人に話すことによって、新しいことに気が付く、相手の反応でより深められるといったことを経験します。話すことによって自分の記憶に更に残っていくとも言われます。

他の人に話す、分かち合うことは、そこには互いに交流し、交わることが当然ながら起きてきます。私たちは一人で孤独に生きていくのではなく、他の人々と関わりを持ちながら、共に神の目的に生きるように計画されました。

私たちは、互いに他者を必要としている存在であり、周囲の人々と一緒に生きることが神さまのご計画であり、二人は一人に勝るのです。

一緒に生きるとは、交流・交わりを持ち、その友情を深めることで、その関係の中で最も大切な「愛に生きる」ことを学んでいくのです。


ヤマアラシ

ヤマアラシのジレンマ~一緒に生きるがベスト

ドイツ哲学者の作った寓話に由来して、精神分析医が名付けた『ヤマアラシのジレンマ』というお話があります。

「二匹のヤマアラシが温めあおうと近づいたら、お互いの針で刺し合ってしまい、あわてて離れる」というコミュニケーションの魅力と煩わしさを表したお話です。

聖書では、人が互いに交わりを持ち、一緒に成長し、仕え合い、共に礼拝し、伝道することを神は望んでおられると教えています。では、針の問題はどうすればいいのでしょうか?寓話が出した答えは、『適度な距離を保つ』という妥協案でした。

聖書が提示するのは、「キリストのことばを心に住まわせ、競争意識を持たず、要求よりも互いの理解につとめる」ことが根本的な解決方法です。神様に頼れば『針があるからこそ成長できる』と言うことさえできます。

人と交わりを持ち、他者と『一緒に生きる』ことを目指せば、お互いの針が必ず気になってきますが、神様に頼ることによって成長できる素晴らしい世界があります。

時に嫌なことや煩わしいこと以上に良いものが与えられる、神が与えてくださる恵みがそこにはあります。『人生は一緒に生きるがベスト』~年を重ねることを通して、学んだ恵みを感謝致します。

「鉄で鉄を研ぐように、人の心も他の人の心との触れ合いによって成長する。」         (箴言27:17 現代訳)

2024年11月12日 小坂圭吾