2023年1月26日木曜日

今を生きる「ソロモンの知恵から学ぶ」

 

四季の森公園
男の料理教室

しばらく前から「料理は重要だ、ある程度は自分で出来るようにしたいなあ!」と考えていました。

昨年の春ごろ、家族から「地区センターで男の料理教室があるので行ってみたら?」と言われ、以前から知っていましたが、このひと声で行く決心をしました。

妻が大病していたこともあり、しばらく家事をやることになると覚悟していたからです。男だけ7~8人が集まり、2チームに分かれて、女の先生2名がレシピを説明し、実地に色々と指導してくれるのです。

2時間かけて出来上がった料理を、コロナ禍でもあり持ち帰りました。ちょうどお昼前に出来上がって持ち帰りますので、妻にこれを作ったよ!と一緒に食べるのです。やがて、料理の得意な妻に教えてもらう方がよかろうと考えて、3回ほど教室に通い終了としました。

料理は楽しい

料理といえば、小学生の頃、母親に包丁を持たされて大根の皮をむくことを教えられたのを思い出します。当時はかまどを使って、ご飯を炊く、煮物を作る、お茶を沸かす等をしていましたが、その手伝いをしばしばしたものです。(郷里は備前岡山の田舎です。)

当時、お手伝いさんや奉公人の方が何名もいて、祖父母も健在でしたので、台所仕事もやることが多かったと思います。そういえば、魚屋さんがわざわざ我が家に色々と魚をもってきて、それを母が見ながら、買うものを決めていた光景を思い出します。

この半年間余、妻に料理を教えられつつ慣れてきました。半年前の野菜等の切り方は、ほんに下手だったなと思います。特に堅い人参をうまく切るには、力とコツ?がいるものです。なかなか細く切ることはむつかしく、少しは上手になってきたでしょうか。

夕食は妻任せですが、朝食だけは、毎回メニューは変わらずですが、私がそれなりに準備をします。料理を作ることは楽しいものです。

人生はまさかの連続

ところで人生の楽しみといえば、何でしょうか?人生は楽しむことよりも大変なこと、予想さえしなかった困難なことが次々と起こるものです。

「人の一生は重荷を負うて遠き道をゆくがごとし」この徳川家康の人生訓は、私たちの心に響くものがあります。

NHKの大河ドラマ「どうする家康」を見ていますと、彼が残したこの言葉の重みを感じざるを得ません。まだ3回しか放映されていませんが、ここまでの人生も大変ですが、これからはさらに困難が襲ってきます。

だから、このタイトル「どうする家康」となるのだと思います。人生の3つの坂~上り坂、下り坂、まさかの坂~このまさかの坂、マサカの出来事が次々に起こる家康、この主人公の大河ドラマは、見る価値はたっぷりありそうです。

ソロモン王

ソロモンの知恵

人生を思いっきり謳歌し、楽しむことを考え行動した人といえば、聖書に出てくるソロモンです。彼は、全世界で知恵と富と文才で知られている王、東西を通じての大賢者です。

彼は、神様によって権力・富・能力を与えられ、人生を探求する知恵と多くの機会を得て、贅沢の限りを尽くし、幸福と満足を得るため色々なことに試みました。その試みた人生の長い「体験の記録」が、聖書の「伝道者の書」です。

数多くの探求と経験の後に、「その一生は悲しみであり、その仕事には悩みがあり、その心は夜も休まらない。これもまた空しい。」(伝道者の書2:23)と言っています。心を休めるところが、私たちには必要です。

ソロンは、色々と試みたのち、伝道者の書の最後にこう書いています。「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。」(伝道者の書12:13)。

更に、この結論の前にこのように書いています。「あなたの若い日にあなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また『何の喜びもない。』という年月が近づく前に。」(伝道者の書12:1)

私がこの言葉に目が留まったのは学生時代でしたが、「とにかく若い日に創造者を心に刻むことだ」と思い信じました。年齢を重ねて思うことは、この若い日というのは、今が一番若い日だと捉えて挑戦することだと思います。

今からでも遅くはない、今やろうと気が付けば、その時が一番良いとき、その人にとって若いときであると思います。今からでも遅いことは何もない、この時を生かしたいものです。 

「この地上には、何をするにも時がある。」(伝道者の書3:1 現代訳)

 2023126日 小坂圭吾


 

2022年12月16日金曜日

今を生きる「『現代訳聖書(改訂新版)』を読む」

 


悪魔のバーゲンセール

今年もクリスマスシーズンになり、街のあちこちでは、クリスマス・バーゲンセールが行われていますが、こんなお話があります。

ある時、悪魔が現役引退(?)の決意をし、それまで使い古した商売道具を“タタキ売り”に出すことにしました。タタキ売りの現場には、悪意や憎悪、嫉妬、羨望、強欲、好色、欺瞞など魅力あふれる品物が陳列されています。

ところがその横に何の変哲もない道具があり、よく見ると他の道具よりはるかに使い込まれた跡があり、誰かが質問をしました。

「これはいったい何ですか?随分高い値札がついていますけど――」          それは“失望・落胆”だよ」悪魔は答えました。                           「でも、そんなものが他の道具より高価だというのは、どういうわけですか?」見物人がしつこく尋ねると、悪魔はそのわけを説明してくれました。

「それはじゃな。他の道具じゃとても歯が立たん時でも、これを使えば人間の心を簡単にこじ開け、その心の中に入ること出来る特別の道具なんじゃ。いったん“失望・落胆”が入り込めば、あとは他の道具を使って思いのままに仕事ができるという具合じゃ。どうだい買うかい?」

悪魔は私たちを失望・落胆させようと、色々な問題を引き起こし、私たちを苦しめようとします。しかし、このような苦しみや試練は喜びとセットであると聖書は教えています。

言葉を変えれば、マイナスは必ずプラスになるということです。聖書を読み、聖書から教えられ続けていると、マイナスはプラスに変わると信じて歩む力が与えられるのです。

なぜ聖書を読むの?

聖書を読むとは言うものの、なんといっても聖書は古い本で、いわゆる“古典”に属する書物ですので、チョット読んだだけではわかりにくいものです。普通の本ですと、その書籍がどういう目的で書かれたかが最初に記されていますが、聖書にはそれがありません。

それでは聖書の書かれた目的はなんでしょうか。それは私たちの救いです。聖書は生ける神のみことばであり、「イエス・キリストによる救い」を教えている本です。それは私たちの成長を促す霊の食物なのです。

この数年、私たち夫婦はほぼ毎日のように家庭礼拝を続けてきました。カナダ・バンクーバーに10日間ほど旅行した際、『リビングライフ』というディボーションテキストを用いてホテルで朝の家庭礼拝をしたのがきっかけでした。

それ以前にも週に一度くらいは家庭礼拝をしていましたが、優先的に家庭礼拝をするようになって、非常に多くの恵み・祝福を経験するようになりました。

個人のディボーション以上に広さと深さにおいて恵みが与えられるのです。家庭礼拝の教材には、当初は解説付きのものを使っていましたが、次第に解説の必要を感じなくなり、今は質問メインの教材にしています。教材はいくつか変遷しましたが、聖書は常に『現代訳聖書』を使ってきました。

『現代訳聖書(改訂新版)』の刊行

この『現代訳聖書(旧新約)』ですが、去る202011月、訳文を見直した新たな『改訂新版』(紙版)を刊行しました。

1983年の初版刊行以来、「読むだけで分かる聖書」として多くの人に親しまれてきましたが、言葉は二、三十年で変わるという常識から、5年ほどかけて改訂の作業に取り組み、翻訳者の尾山令仁先生による見直しに加え、現代訳聖書翻訳委員会による日本語の推敲と修正も行いました。


時代の流れと共に言葉も変化することを踏まえ、古い言い回しの修正、送り仮名の変更、漢字とひらがなの使い分け、句読点の調整、接続詞や代名詞や敬語などの調整等々、修正は約3万箇所にのぼりました。

聖書を翻訳によって分類すると、「原語に忠実」な聖書と「原文の意味に忠実」な聖書の2種類に分けられます。『新改訳聖書』、『新共同訳聖書』等が前者の“原語に忠実な聖書”であり、『現代訳聖書』が後者の“原文の意味に忠実な聖書”に該当します。

「原語に忠実」に訳した場合、2千年以上も前の原語をそのまま訳すわけですから、当時と風俗習慣が違う私たちには理解できず、良くわからない箇所が多々出てきます。ユダヤ的表現が随所に見受けられたり、昔の度量衡や貨幣が出てくる等々、理解が難しくなるポイントはいくつもあります。

英語圏では「原文の意味に忠実」に訳すという翻訳原則で訳された聖書は十数種類出ているようですが、日本語訳の聖書では極めて少ないのが現状です。

「『現代訳聖書』を読むと、意味の分かりにくい箇所がよく分かる」とのご感想をいただくことがよくありますが、それは、歴史、社会、文化の違いを考慮に入れて、「原文の意味に忠実」に訳していることによるものです。

電子書籍版の刊行

先月11月には『現代訳聖書 改訂新版 電子書籍版』を刊行しました。Amazonキンドルにてご購入後、スマホ、タブレット、パソコン等でご利用できます。電子書籍市場ではAmazonキンドルが一番のメジャーであり、今後のIT技術の進歩にも追随してくれるので安心です。

なお、旧約聖書(1250円)、新約聖書(750円)の二つに分かれています。読むだけで分かる聖書『現代訳聖書 改訂新版 電子書籍版』を、ぜひ日々のデボーションや家庭礼拝や聖書研究にお役立てください。詳しくは、こちらをご覧ください。

https://www.logos-pb.com/

私たちはこれからも「読みやすく分かりやすい聖書」を出し続けていきたいと願っています。日本人の多くは八百万の神しか知らず、99%の人々が真の神さまを知らない状態です。一人でも多くの日本人に聖書を読んでいただくために、この『現代訳聖書』が用いられることを心から願ってやみません。

 「今生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋なみ言葉の乳を熱心に求めなさい。それによって成長し、救いが完成するのである。」(Ⅰペテロ2:2 現代訳)

 20221215日 小坂圭吾(現代訳聖書刊行会・代表)

 (追伸)

改訂新版の刊行にあたり、多くの資金が必要となり献金のお願いをしてきましたが、電子書籍の刊行も含めて必要額が満たされましたことをここにご報告し、感謝を申し上げます。主なる神様に賛美と感謝をささげます。

 

 

2022年11月18日金曜日

喜び 「感激・感動する」

 

生田緑地ばら苑
元気が出る

私たちは、感激・感動したとき実に元気が出てきますが、その場面は色々です。自然界の雄大さに圧倒されたとき、スポーツや映画を見たとき、聖書の言葉が迫ってきたとき等々

体の元気は、食事をすることにより、心の元気は、感激・感動することによります。問題や困難にぶつかり、落ち込み折れている心に、元気・やる気が与えられるからです。感動して忘れられない体験と言えば、困難や苦しみを乗り越えたときが多いかもしれません。

私たちを成長させ訓練される神様は、苦しい状況や問題の状況をしばしば用いられます。そのような時、かたくなな心がしだいに柔らかくなり、物事を素直に受け止める状況になり、心に響くことが与えられるのでしょうか。

今回は、過去の感激・感動した特に旅のシーンを思い出しながら、感激、感動のことを徒然なるままに書いてみます。

第1話、新幹線の中で

新幹線自由席に乗って、関西方面からのぞみ号で帰る途中のことです。いつもはビジネス客で静かな車内、斜め横に2人の若い女性(学生?)が大きな声で話をしています。

少しうるさいかな?と気になっていた時、彼女らの斜め横に座って寝ていた男性が立ち上がり、彼女らに向かって一呼吸置き人指し指を口に当て「シー」と合図しました。とたんに彼女らの声は、テレビの音量を下げたかのごとくに聞こえなくなったのです!

その後、私も静かに眠ったことは、言うまでもありません。実にうまい注意の仕方で、些細なことながら小さな感動でした。

第2話、添乗員の面白いこと
ツアーで九州をぐるりと周遊するハードスケジュールな旅行をした時のことです。阿蘇くまもと空港に着いて観光バスに乗り込み、最初に添乗員の方の挨拶です。添乗員は、旅程や宿・昼食等の世話をする係で、普通は、あまり面白くも何もありません。

ところが、これが実に愉快!「皆様、今日はXX交通社をご利用頂きありがとうございます。23日よろしくお願いします。」拍手ぱちぱち!するといきなり「まったく気の入ってない拍手をありがとうございます。」もう大拍手と爆笑です。

「この旅は、ほんとうに大変なスケジュール、厳しいスケジュールです!特に関東のお客様は、これでもかと言わんばかりの詰めに詰めた内容です!」脅しとおかしさが混じって、これから23日が楽しいぞと思わせられました。

彼女が登場するたびに、今度は何を言うのかと皆心待ちに聞き、そのたびに爆笑。ガイドさんの説明もうまいのに感心!彼女たちが楽しくしようとの企てに皆も影響され、わいわいがやがやの道中でした。

九重”夢”大吊橋

第3話、湯布院近くの九重(ここのえ)”夢大吊橋

先日、長男夫婦が大分県の湯布院に旅行したと聞き、そういえば、夢大吊橋があったことを思い出しました。今はどうなっているかとスマホで調べたところ、1116日入場者数が1100万人を突破したとのこと。

総工費約20億円、20061030日落成した長さ390m、高さ173m、幅1.5mの日本一の人道専用大吊橋です。湯布院が脚光を浴び、さびれてきた村をどげんかせんといかんと言うので、町長一人がんばり、町議会の全員反対を説得し完成させました。

村としては、とてつもなく大きな夢の計画です。国、県の補助無しで建設し、ちょうど旅行で行った日が落成して丸3年(20091030日)、既に訪れた人が500万人でした。素晴らしい立地の場所にあり、町民の夢を拓くことが出来、訪れた人々には夢を与える大吊橋です。

「九重”夢大吊橋」は、みんなに夢を与え拓かれるようにとの願いが込められ名付けられました。町長一人とにかく頑張って、この素晴らしい立地を生かした事業をやり遂げたお話で、本当に感動したことを覚えています。

いつもやわらかい心で

旅する時には、心と頭を空っぽにしますと、新しい違ったものが入って来ます。新しいことがどんどんとインプットされます。大自然や歴史や文化、人との触れ合いを通して、心の中に励ましやら、元気やら、夢が与えられたり拓かれたりするのです。これが、旅の良さなのです。

人生において成長し続ける大切なポイントは、”感激・感動する心を失わないという言葉があります。”感激・感動は意識となり、意識は行動となり、行動は習慣となり、習慣は人格となる!

いつもやわらかい心を持ち、苦しいことや問題にも正面から取り組むと共に、小さなことでも感激・感動する心を持ち続けていきたいものです。

「きょう、もし御声を聞くならば、~~~ 心をかたくなにしてはならない。」(ヘブル3:7~8 新改訳)


2022
1118日 小坂圭吾


2022年10月6日木曜日

今を生きる「平凡な日常を大切に~妻を尊敬する」

 

山下公園から横浜ベイブリッジ

まずはジョークから

オンヌリ教会の主任牧師・イ・ジェフン先生の語られた楽しいジョークです。 一組のご夫妻がいつも礼拝に出席していました。ご主人は、奥さんの付き合いで嫌々出席していました。

ある日、奥さんが風邪をひいてしまい、礼拝に出席できなくなりました。奥さんが、ご主人に頼みました。「どうしても牧師先生の説教が聞きたいので、あなたが代わりに行って、説教のメモを取り、後で話を聞かせてください。」

ご主人はしかたないので礼拝に出席し、やがて帰って来ました。ところが、なぜかご主人の様子が違っていて、とても愛情深く、親切になった由。

奥さんは、「どんな説教を聞いたのかしら?『妻を愛せよ』との内容だったのかしら?それにしても、一回の説教でこんなに人が変わるかしら?」と教会に電話して聞いてみました。

牧師先生にこのことを話して尋ねると、牧師はびっくりして言いました。「私の説教はですね、『敵を愛せよ』というテーマだったのです・・・。」(大笑い)

それにしても、夫たるもの家庭の平和のためには、奥さんの言うことに従うことは、良いことにつながりますね。

気になるバナナ

先月の朝食の時、私がバナナを食べようとしたときに、妻がさらりと言い出しました。「あの店でのバナナは買わないでほしい。」「味は、他の店とは変わらずおいしいよ!?」私が買ったこのバナナについて、何かまずいことがあるようでした。

数時間後に、妻がスマホを開いて「安全なバナナの見分け方」という記事を私に読むように見せました。輸入したバナナは、防カビ剤が残留している可能性が高く、その防カビ剤の危険性がわかっており、農薬や化学肥料に頼らず有機栽培の物に限るようにとのことでした。

妻の食の安全についての気配りは、ここまでも行き届いており、バナナについては認識不足でした。

我が家では、30数年も前から玄米菜食中心の食事で、さらに無農薬有機肥料で栽培された自然食品が中心です。肉は少なくして魚中心で、味付けは薄味です。

私も意識をするようになってから7~8年、努力中です。長い間、食事について妻まかせで、自分自身で「何を食べるのが良いか、何が悪いか?」確かなことを知らずできました。

狭心症になって始めて、目が覚めて色々と勉強しました。食事によって人間は多大な影響を受け、病気や肥満にもなり、健康にもなりえます。

妻は病気療養中なので、理想的な食生活は出来ない現実ですが、根本的な考え方は変わっていません。現在はスーパーで売っているお弁当、総菜等も毎日の食卓に乗せています。


三浦綾子作

平凡な日常を大切に

今読んでいる本に、三浦綾子・生誕100年記念ベストエッセイ集「平凡な日常を切り捨てずに深く大切に生きること」(いのちのことば社)があります。三浦綾子さんの書かれた多くのエッセイの中より、選りすぐりの物を選んでくださったので、読んでいくと一編一編が深い味わいを感じるとともに「日常を深く大切に生きる」ことを教えてくれます。

したがって、1日に1編ずつ味わいたいと感じながら、夫婦で大切に読み進めました。その中にこのような文があります。

「生きるということは、私は悲しみや苦しみに耐えることであると同時に、平凡な日常を切り捨てずに、深く生きることであるとも思う。」

平凡な日常と言いますが、神様が創られたこの日は、この時は、決して平凡ではなく、毎日が昨日よりは大きく異なるのです。白いキャンパスに今日のことを書くとすれば、間違いなく昨日とは違う絵になるのです。そこにある意味もまた深く掘り下げれば、新しいことや発見、感謝があるのではないでしょうか。

先のバナナ事件から発して、食べることについて少し深く考えることにつながりました。自然食にこだわるといいながら、いい加減になっている自分、食の安全を忘れていました。自分一人では気づかないことは多くあり、人と接することから、目が開かれ気づかされていくものです。

このように書きながら、日常をいかに深く生きるのか、その心構えを持つと何か変わるように思わされます。「老いては、子と妻に従え。」とは、良くぞ言われたものだとわが身を振り返ります。 

「夫たちよ、妻を自分よりも弱いものだとわきまえて生活を共にし、命の恵みを共に受け継ぐ者として尊敬しなさい。」(ペテロⅠ3:7 新共同訳聖書)

 202210月6日 小坂圭吾


 

2022年9月6日火曜日

祈り「祈りは聞き入れられる」

祈りの力
かつて見た映画を再度鑑賞

今年になって、かつて見た映画を再度見ることが多くなりました。昨今は、まだ見てない良い映画に出会うことが少なくなってきたなと感じています。自分の感度が鈍くなったのか?見る分野、興味の分野が狭くなったのかもしれません。

そうした中で、映画「祈りのちから(War Room)」を再度鑑賞しました。6年前に封切を映画館で見たのですが、昨年でしたかこの映画をもう一度見たいとインターネットで試みましたが見つからず、先日、Netflixで発見してテレビを通じてみました。

少し飛ばしてみたりしたのが影響したのか?それほど感動は無く、やはり感度が落ちてきたかなと思わざるを得ませんでした。1か月ほどして、娯楽物ではないのでもう一度じっくり見てみよう!と腰を落ち着けて鑑賞したところ、やはり感動した作品でした。

見る時の姿勢というか、気持ちというかそんなことも影響するのだなと思ったものです。

War Room」(戦略会議室)~~祈りの部屋

映画監督のアレックスは語っています。「このタイトルは、日々の生活の中で直面する種々の問題に入る前には、神に正しい戦略について尋ねなければならないという信念があり、祈りの部屋の重要性を思い、映画の原題を「War Room」(戦略会議室)と付けた。」

映画の出だしが戦争から始まり、これは何だと思わせながら戦略会議室へ、それは戦争の作戦本部とも言うべきところですが、そして私たちの人生にとっては、戦いの武器である祈りについて、深く切り込んで行くのです。面白い展開で、ストーリーは以下の通りです。

ビジネスマンの夫トニーと不動産仲介業の妻エリザベス、一人娘のダニエル一家。一見幸せそうな家族ですが、夫婦間に問題・亀裂がある。そんな中で、エリザベスがある日仕事で、家を売却したいという老女クララに出会う。

エリザベスが問題を抱えていると気づいたクララは、彼女に信仰について尋ねる。クララおばあちゃんは、エリザベスの信仰が“気が向いたときにしか教会に行かず、祈りも心のこもらない「ぬるいもの」である”と気づく。

人はどれほど行き詰まることがあったとしても、熱い信仰で祈ることこそが、人生における勝利のカギである!『祈り』が最強の力になるのだと教える。そのパワフルな指導は、見る者をエリザベスと共に引き込んでいく。

クララおばあちゃんは、自宅のクロゼットを案内し、そこは祈りの場所「ウオー・ルーム」であった。クロゼットの壁には、祈りのメモ(課題、状況、かなえられた祈り)がびっしりと張り付けられていた。

クララは、一週間に一時間、自分と会って信仰の話をしようと説得するのです。ここから後は、ぜひ映画をご覧ください。

サルスベリ・白

祈りの部屋

WAR ROOM」は、私たちにとっては、祈りの部屋のことです。世界は神と悪魔の戦争であり、悪魔に打ち勝つためには、祈りによって神の力をいただき悪魔を打倒するのが人間にできる唯一の方法だと、クララおばあちゃんは力説します。

悪魔の働きは、人のプライドであり、憎悪であり、悪い行ないである。熱心なクリスチャンであるクララは、かつて人生における危機、失敗経験の中で、全能の神に熱く祈ることにより、自分の悩み、苦しみ、告白、願を神にぶつけて乗り越えたのでした。

祈りによって神様がどれほど力強く、適切な答えを出してくれるのか!彼女は、クロゼットを“奥まった祈りの部屋”としてそれに当て、これが一番の気に入った部屋なのです。

あるクリスチャンが書いたこんな記事を読みました。

「私の生涯の中で、最も恵まれた祝福されたときは、どうしようもなく行き詰まった時であった。信じられないかもしれないが事実である。

人間の知恵では解決できそうにないようなどん底に落ち込んだ時に、いつも喜ぶ、絶えず祈る、全てのことを感謝するについて実践するとき、ことごとく不思議なことが起こった。神さまのご計画の中にあるということに気がついたのである。」

この話は、クリスチャンならば、聞いたことがある、あるいは少なからず体験していることでしょう。とにかく行き詰まった時、事態が悪ければ悪いほど、開き直って神に立ち帰りすがるならば、主なる神さまは答えて下さるのです。

真剣に神に祈り求めていくとき、まず私が変えられ、やがて周りも変えられていく。忍耐して歩んでいくとき、主なる神様が不思議に導かれるのです。

祈りは聞かれる

この映画の主人公エリサベスは、まさに行き詰まってどうしようもなく離婚直前の折(この世の普通の夫婦ならば、離婚へ一直線でしょう)、神に立ち返り、まず自分が神によって変えられ、やがて夫が変わり、全てを感謝する生活へ‐‐。

この背後にあっては、クララおばあちゃんも熱心にとりなしの祈りを捧げ、神様が聞き入れて下さったのです。

最初にこの映画を見て記憶に残っていたことは、クララおばあちゃんが、エリザベスに最初出したコーヒーは“ぬるいコーヒー”でしたが、何週間後には、エリザベスの信仰の態度が熱くなってきて“熱いコーヒー”を出すのです。

このクララおばあちゃんの行動は、「熱い信仰であれ」と私たちに迫ってくるものでした。私たちも神に対して、いつも熱く、霊に燃えて勤勉で怠らず、自分に任された使命を果たすべく、絶えず上からの力をいただくものでありたいと願っています。

 「目をさまして、感謝をもって、たゆみなく祈りなさい。」(コロサイ 4:2)

 2022年9月6日 小坂圭吾