東日本大震災そして原発事故から2年が経ちました。2年が経過しましたが、復興の進度状況が遅いことは、誠に残念です。それには原因があり、政府が復興の予算をつければそれで事が進むという訳ではありません。東北の地で再興をしようと頑張ろうとしている方々に、少しでも助けになることを最低10年は継続しなければならない、と思っている一人です。再度、支援・復興は長期戦であると覚悟して、「自分が出来ることをしよう」と問い続けながら、行動をしていきたいものです。
年に一度東北の支援に現地を訪問しようと、昨年の秋(2012年10月)、岩手県三陸海岸のあちこちを訪問しました。テレビの映像で見たことのある場所、津波後のその姿は瓦礫が取り除かれていましたので、最初からこのような場所だったのかと錯覚をしてしまいます。
現地の方々の実体験やあらゆるものが根こそぎ無くなった姿を見るにつけ、自然の威力の凄さに驚かされます。盛岡市にある岩手日報社が発行している特別報道写真集「平成の三陸大津波~2011.3.11東日本大震災・岩手の記録」を現地で購入しました。それは、岩手日報社の記者たちが身をもって各地でとらえ、克明に記録したものです。哀悼と鎮魂の思いと共に、復興、新生に向けての歩み、願いです。
創造主との出会い
特に聖書の冒頭に、「はじめに神は天と地とを創造された」(創世記1:1 口語訳)とあり、何の説明もありませんが、はっきりとこの世界の起源を宣言している言葉には感動を覚えました。この世界を造られた神、創造主がおられることが分かると、今度は、そのお方が私にとってどんなお方なのかが問題になりました。さらに求道を続けるうちに、「人が人として正しく歩むには、イエス・キリストに従って歩むしかない」との理解に至り、信仰の決心に導かれ、やがて救いの確信を得ることができたのです。
『創造主訳聖書』の発行
1965年頃、W大KGKにおいて、毎週一度「創世記」の聖書研究会が行われていました。法学部の校舎6階の薄暗い屋根裏にあるKGKの部室、部屋に入る時は、幾分か腰をかがめないと天井のかもいに頭をぶつけそうになります。これぞ、聖書研究やお祈りをするには、ふさわしい場所だと感じていました。その当時、尾山令仁牧師が私訳の聖書を使って学びを指導しておられ、私もその聖書研究会のメンバーでした。それから約20年後、尾山牧師の私訳聖書が1冊の聖書にまとまり、『現代訳聖書』として刊行されました。

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2013年3月14日 小坂圭吾