昨年読んだ雑誌の記事に、こんなお話がありました。
ある金持ちが新聞に広告を出しました。「現在の自分の暮らしに心から満足している人は、私の所に来てください。それを証明できたら、壱千万円差し上げます。」
その広告を見た数多くの人が、金持ちの家に押しかけ、口々に自分がどんなに現在満足しているかを熱弁しました。1か月過ぎても、だれも壱千万円を受け取る人はなく、長い行列はしだいに短くなり、そのうちに誰も訪れる人はいなくなりました。
それは、金持ちのある質問に対して、だれも答えることが出来なかったからです。金持ちの質問はこれです。「あなたが本当に今の暮らしに満足しているなら、どうして壱千万円をもらいに来たのですか?」(リビングライフ2014年10月号)
財産と富
実に考えさせられるお話です。日常の暮らしに心から満足し、感謝するには、私たちの心の姿勢が問われる事柄です。特に、財産と富に対する私たちの欲は、限りがありません。
財産が増えると消費も膨らみますので、その欲は限りがなく、まだまだと不足を覚え執着するのです。
財産が増えて消費した結果、欲しい物を買い、行きたい旅行をし、おいしいものを食べ一時的な楽しみを味わうことは出来ます。
やがてその喜び、満足も消えていきます。財産が増えると悩みも増える、安らかに眠ることも出来ないと言われます。
もう10数年も前のこと、ある小さな町の出来事が、新聞記事が載りました。「市民のあるおばあさんがM市に壱億円余を寄付されました。福祉のために用いてくださいと!」写真と共に掲載された記事でしたが、現金で持参されたとありました。
こつこつと貯められて素晴らしいことをされたお話ですが、おばあさんは、寄付されて満足と共に安堵され、翌日からよく眠れたであろうと推察します。
満足し感謝する
神さまは、私たちの人生に与え、許されたものを味わい楽しむようにしておられます。労苦をも含めて楽しみ味わうのが知恵だと言われます。日々食べたり飲んだりして、自分に与えられた仕事を喜んですることで、その日を楽しむことが好ましい満足な生き方です。
人生にある様々な労苦も、私たちの人生に神が与えられた事柄で、それも味わいながら乗り越え、その代価として財産を与えて楽しませて下さるのです。
神さまが与えてくださった領域で最善を尽くし誠実に労苦するならば、私たちの心を満足と感謝で満たして下さいます。その感謝は、信仰の表現であると共に信仰の物差しです。
多くを与えられ、持っている人は、喜んで良いものを差し出す人生を生きるようにとも、神さまは言われます。主は、必ずや満足と感謝を与えて下さいます。
「実に神はすべての人間に富と財宝を与え、これを楽しむことを許し、自分の受ける分を受け、自分の労苦を喜ぶようにされた。」(伝道者の書 5:19)
2015年4月11日 小坂圭吾