デボーションとは?
神を知るために、聖書と祈りを通して、神と個人的に交わることを“デボーション(静思の時)”と言います。QT(Quite Time)と言われることもあります。今日では、毎日聖書を読み進めるにあたり、良い指導書や手引き書が書店に並んでいます。(デボーション、静思の時、QT(Quite Time)という表現がついている)
神と共に過ごす時間は、生活の最優先事項になるべきもので、デボーションを持つようにと強調されるのは、なぜでしょうか?その理由は、全被造物の中で、創造主なる神さまと交わり、意思疎通を図ることができるように造られたのは人間だけで、人だけに与えられている特権です。
イエス・キリストも、しばしば静かな所に退いて、絶えず神との個人的な交わりをされ、その時間を通して、神からの力を受けられたのです。更に言えば、神さまに大きく用いられた人たちは皆、神さまとの交わりの習慣を身に着けていました。私たちは、健康を保つために肉体的な糧だけでなく霊的な糧も必要で、神さまのみ言葉という霊的な栄養分をしっかり取る必要があるのです。
イエス・キリストも、しばしば静かな所に退いて、絶えず神との個人的な交わりをされ、その時間を通して、神からの力を受けられたのです。更に言えば、神さまに大きく用いられた人たちは皆、神さまとの交わりの習慣を身に着けていました。私たちは、健康を保つために肉体的な糧だけでなく霊的な糧も必要で、神さまのみ言葉という霊的な栄養分をしっかり取る必要があるのです。
どのように進めるの?
日々のデボーションを持つには、早朝に15分程度から始めましょうと言われます。頭のさえている朝が一番良くて、15分程度とはいえ、毎日働きに出かける方々にとっては容易なことではなく、10分の時間でも大変です。私の若い時は、早起きが苦手で、早起きの努力を色々とするも成功しませんでした。
従って、私の場合、通勤に毎日1時間程度を要しましたので、満員電車の中で、吊革にぶら下がりデボーションとなりました。時々、小型の聖書を開いて読んでいるビジネスマンを見かけることがあり、彼も苦労して工夫しているなと感じたものです。
教会のS長老は、「現代訳聖書」の古い版を引き裂いて、背広の内ポケットに入るくらいの厚さの単位にして、それを電車の中で読んでいると自慢げにうれしそうに話してくれました。電子書籍が出回っている今日では、スマホかタブレット端末を使って、聖書を読むことが出来ますね。
車通勤の方は、少し早くに出かけて、駐車場に車を停めてその時間を割くのも良いことです。昨今は、100円コーヒーでマックやコンビニの片隅の席でも可能ですね。自宅で静かに時間を取れる時は、ぜひ落ち着いて取り組まれたら良いかと思います。神様と二人だけになれる場所をぜひ見つけて下さい。
継続は力です
教会のS長老は、「現代訳聖書」の古い版を引き裂いて、背広の内ポケットに入るくらいの厚さの単位にして、それを電車の中で読んでいると自慢げにうれしそうに話してくれました。電子書籍が出回っている今日では、スマホかタブレット端末を使って、聖書を読むことが出来ますね。
車通勤の方は、少し早くに出かけて、駐車場に車を停めてその時間を割くのも良いことです。昨今は、100円コーヒーでマックやコンビニの片隅の席でも可能ですね。自宅で静かに時間を取れる時は、ぜひ落ち着いて取り組まれたら良いかと思います。神様と二人だけになれる場所をぜひ見つけて下さい。
河津桜 |
デボーションを継続していくために、良い指導書や手引き書の活用は、お勧めです。選ばれるポイントとして、「黙想」と「適用」についての良い質問があるものを利用されると、自分の頭で考え、黙想しながら、自分への適用が出来ると思います。
信仰に入られて間もない方には、聖書箇所の解説等も書いてあり、聖書を読む手助けになります。ある程度信仰が進まれた方は、質問に対して聖書から導きを得るようにされるのが良いかと思います。解説は、時間があれば後から読まれる程度でよいのではないでしょうか。
悪魔はデボーションを妨げようとしてきます。一つは、聖書の言葉が心に入って来ないのです。声を出して聖書を読み祈ることで、意識を集中させることです。声を出せないならば、声を出すつもりで読んでみることです。
信仰に入られて間もない方には、聖書箇所の解説等も書いてあり、聖書を読む手助けになります。ある程度信仰が進まれた方は、質問に対して聖書から導きを得るようにされるのが良いかと思います。解説は、時間があれば後から読まれる程度でよいのではないでしょうか。
悪魔はデボーションを妨げようとしてきます。一つは、聖書の言葉が心に入って来ないのです。声を出して聖書を読み祈ることで、意識を集中させることです。声を出せないならば、声を出すつもりで読んでみることです。
体調が思わしくない、時間に追われて焦っているとかで、その気にならない時がありますが、その事をまず神にぶつけて祈ることから始めてみましょう。それでも出来ない場合は、さぼったなと自分を責めることは止めて、明日はしっかりやろうと心を切り替えましょう。
「イエスは朝まだ暗いうちに起きて、寂しい所へ出て行き、そこで一人、祈っておられた。」(マルコ1:35 現代訳)
2018年2月13日 小坂圭吾