日本のカルタ・花札 |
正月に家族が集まりますと、時に、子供のころに良くやった“花札遊び”をします。花札は、昭和の時代に日本の家庭には一組くらい置かれていたものですが、トランプをはじめ他の室内遊戯に席を譲ってしまいました。
花札は、1月から12月までの季節に花鳥風月の画をあしらった、美しい日本のカルタです。下の写真は、この花札の中の一枚で “柳”(11月を表す)と言い、柳に小野道風 (おののどうふう)と雨蛙(あまがえる)が描かれています。
小野道風 は、平安時代の名筆家の一人にあげられ、書家を目指して、子供のときから師匠のもとへ一日も休まずに通いました。「姿勢を正しく、筆はまっすぐに持ち、字の一点一画にも心をこめて書きなさい」と教えられ、手習いにはげみますが、何年通っても、自分の字に自信を持てません。
花札・柳 |
「もうだめだ。書家になれる見こみはないのでもうやめよう」と心に決め、雨がしとしとと降る中を師匠の家から帰って行きます。道すがら、一匹の雨蛙が柳の枝にとびつこうとしているのを見かけました。
柳の枝は、風に吹かれて揺れ、蛙はぴょんぴょんとび上がっては落ちてしまいます。道風は、くり返しとび付く蛙の姿を見守り、あきらめるだろうと思った次の瞬間、蛙が柳の小枝にとびつき満足そうでした。
「そうだ、自分もあきらめないで続けよう!」こう心に誓った道風は、筆を取り直し、やがて日本一の書道の大家になったとのことです。
柳に届かずとも継続中
あきらめないで続けることの大切さは、言うまでも無いことです。私の場合、柳の枝に飛びついたり落ちたりで、いまだに継続中が英語です。学校教育で学び、大学時代には“英会話がこれから重要だ!”とわかりつつも中途半端で大学を卒業しました。
ビジネスマン時代は、必要に迫られ、英語のマニュアルを読む、英会話も時々習う、英語を使ってのグローバルミーテイングのために宣教師に1年習って磨く等をして、曲りなりにこなしてきました。私にとっての英語は、必要に迫られ、蛙が柳に向かってとびつき小枝にとびのるも、しばらくすると必要が少なくなり落ちてしまうのです。
あまり支障もないので、これも仕方ないな!と自分を受け入れております。それでも数年に一度海外に出かける時は、親しい人と少しでもスムースに英会話が出来るように、“にわか”勉強に励みますが、とてもとても、柳には届きません。
苦難は忍耐を
途中で投げ出したくなり、悪戦苦闘をした、私のビジネスマンとしての最初の三年間は忘れられません。理工系出身で、就職をして最初の仕事は、コンピューター部門のシステムエンジニアでした。
その頃は初代コンピュターの時代で、当時の職場で使用されていたIBM大型コンピューターはというと、20数年ほど前のパソコン並の性能で、技術の進歩には驚かされます。仕事はきつく、神経の擦り減るような毎日が続きました。出来の悪いのも手伝っていたのでしょう。マニュアルはすべて英語で、辞書を引きながら解読です。
大学で勉強したコンピューターの知識はほとんど役に立たず、先輩に教えてもらいながら、必死について行こうと努力です。仕事もよく分からない状況での孤軍奮闘、徹夜の連続で、あるとき体調を崩してしまいました。心晴れぬ日々が二年ほど続いたでしょうか。必死に聖書を読み、祈る日々でした。
「神様、本当に辛い毎日!!できることなら、この会社を辞めて仕事を放り出してしまいたいです。‐‐‐でも、ここで辞めると生涯負けになりますので、この辛い峠を越えるまでとにかく耐えられるように助けて下さい。」そのように祈りつつ仕事に取り組むこと三年、気がつくと何とか一人前になっていました。
石の上にも3年、辛い峠を乗り越えてからは心も晴れ、会社を辞めずに仕事を続けることができました。継続してやればものになるものです。今思えば、一緒に苦労し助けてくださった先輩がおられたこと、そして信仰によって支えられ続いたのだと思います。
我々ビジネスに携わる者の間では、このように本当に辛い仕事を乗り切った経験について「地獄を経験した」と言って、その後の人生において大きな宝となっています。
「そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。」 (ローマ 5:3-4 新共同訳)
2019年11月13日 小坂圭吾