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海外ドラマ「ザ・クラウン(The Crown)」
全国的に新型コロナウイルス「第4波」が急拡大し、緊急事態宣言の地域の拡大と期間延長がなされました。長きにわたる巣ごもりを余儀なくされる中、Netflixの存在を知り、評判のよい海外ドラマ「ザ・クラウン(The Crown)」を引き込まれるように見ました。
実際の英国王室を忠実に再現した実話に基づくヒューマンドラマで、25才の若さで即位した女王エリザベス2世は、今なお大きな影響力のある英国史上最高齢君主で、その素顔を浮き彫りにしています。
制作費は100億円以上、宮殿内部や衣装の細部までこだわりが感じられます。分けても、戦後間もないイギリスの政治・外交の動きがつぶさにわかり、歴史を俯瞰して「そうだったのか!」と目が開かれるものがありました。
40編を3か月かけて見ましたが、政治・外交における英国君主としての立場と、家族や夫への想いとの間で悩みながら、立派な女王へと成長していくドラマを楽しみました。
ドラマゆえの脚色はあるとはいえ、この君主としての凛とした立ち振る舞いは、次々と起こってくる問題に対して、とても使命感が無ければできることではないなと思わされます。
50年以上もその役割を果たしていることに驚きを覚え、閉ざされた王室の中で、彼らは問題を抱え、どれほど悩んだことでしょう。私たちも同じです。
信仰を持ってがんばる
人生の中で色々と起こってくる問題、「嫌だなぁ~。辛いなぁ~。苦しいなぁ~」等の思いが起こり、ともすれば弱気になってしまう自分があります。「もういいよ」「投げ出しちゃえ~」とささやきかけるもう一人の自分、誰もがそんなもう一人の自分に打ち克とうと努力したことがあるはずです。
「嫌だ、辛い、苦しい」等と思うこと全て自分自身であり、そんな弱い自分を認めることが、自分自身に打ち克つことのできる出発点のように思います。『自己と戦い打ち克つ』~~これを私たち日本人には、”なにくそがんばる”と言う姿勢なのかもしれません。
ともかく、一生懸命、一心不乱にまず打ち込んでみることだと、私の若い時代ですが、クリスチャンとして“信仰を持ってがんばる”ことを強く教えられたものです。私も少なからず、信仰をもって努力する、がんばることをしてきました。
がんばりのDNAを持った日本人クリスチャンは、“信仰を持ってがんばる”と言いながら、いつのまにか「とにかくがんばる」姿に変わっていることがあります。とかく陥りがちな私たちの姿で、色々なことが気になり、心を配り、とにかく遣り抜こうとする姿です。
素晴らしいことですが、神さまとの関係を見失い自分中心になっている姿に変わっているかもしれません。がんばり過ぎてやがて疲れ果て、忍耐もできず「もうがんばれない」となるのです。
思い煩い~神にゆだねる
体力と気力があるときは、“信仰に持ってがんばる”ことで何とか切り抜けることは出来るかもしれません。その過程においては、色々な問題に葛藤し、悩み、不安になり、それを乗り越えていくことになります。
問題が多いと思い煩いもまた多くなります。私たちは、思い煩うことの名人と言っても過言ではなく、何とか“自分でがんばる”ことから脱却したいと思うようになります。“神にゆだねる”事が必要だと気づいてくるのです。
「神様、これを何とか切り抜けることが出来るよう力をお与え下さい!」この祈りしか出来ないのですが、次第にどうすればいいのか少しずつ分かってきます。
「神様、いま思い煩いでいっぱいで、いらいらしています。あの事、この事、色々とどうしようかと不安です。どうしたらいいのか、必要なことを教えて下さい。」
真剣に今の状況を祈ることだと少し分かって、聖書を開いて読んでいると、今の状況にふさわしい聖書のみ言葉が飛び込んできて、神にゆだねようとなるのです。そうすると、イライラ、不安が解消してくることに気づきます。
「成るしかならないのだから、今はこれだけをやる。あとのことは、神様が最善にしてくださるだろうから、その時になって、祈って考えるようにしよう。」
このようにかなり訓練されてきましたので、失敗もありますが、自分でがんばり過ぎないで、“神にゆだねる”ことが少しずつ出来るようになりました。とても心穏やかな信仰の道かなと思っています。
「何も思い煩ってはいけない。思い煩うことがあれば、どんなことでも、それを聞いてくださる神に、感謝の心を持って申し上げるがよい。」(ピリピ4:6 現代訳)
2021年5月15日 小坂圭吾