2022年2月4日金曜日

今を生きる「人生100年時代~生涯現役に生きる」

 

御射鹿池(みしゃかいけ)
生涯現役とは

いつまでも現役であることは、何が良いのでしょうか?生涯現役という意味は、がむしゃらにガンバリ続けるということではありません。現役意識を持って、何かしらの事柄を持って働く、周りの人々に役立つことをするということです。

周囲に迷惑をかけるような現役では、これは言語道断です。「生涯現役は迷惑である」との声を聞かないわけではありませんので、迷惑な生涯現役は、お断りですね。

人々の何かしらの役に立つことをしていくには、脳機能と運動機能を使い続けますので、高齢者にとって大切なこと~身体が動く、頭もすっきりしていることに繋がるのです。働くことが、老化防止の最大の薬であり、社会的にも色々な面で貢献していけるのです。

高齢者の医療費が何かと問題になっていますが、長く働いている方が多ければ、医療費の負担も少なく、健康寿命も長くなることは、昨今の調査結果で明らかになっています。

他の人のために役立つ

言葉を変えていえば、“やりがいのある事をする”ことだと私は考えています。やりがいというと大げさですが、心に張りのある、“他の人のために役立つ”何かをするということです。これまでにもお話をしてきましたが、仕事、ボランテイア、孫の世話、家事、趣味でもOK、他の人のために役立つ何かを絶えずしていくことです。

自分のためだけでなく、他の人のためにも役立つと思われることをしていくことがポイントです。社会や家族から必要とされていることに応えていくということです。これをやっていきますと、脳機能と運動機能を常に使い続けることになるのです。

例えば、大家族におけるおばあちゃんの存在ですが、この人は、その家族では間違いなくキーウーマンです。家事をやり、何かイベントがあれば、孫やひ孫の世話を焼く、そのためには、頭を使う、体を使うことは言うまでもありません。

ですから、いつまでも元気でいる方が多いようです。私の家系にも何人かいますが、商売をやりながら、家事を切り盛りして、まさに健康で驚くほど長寿でした。人々のために役立ち、家族にも必要とされていたのです。

各人の賜物・能力を生かす

聖書は、この事についてどのように教えているのでしょうか?聖書の教えを一言でいえば、「愛」に尽きます。イエス様が具体的に言われた言葉があります。

「イエスは彼に言われた。『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの主である神を愛しなさい。』これが一番大切な戒めです。『あなたの隣人を、自分自身のように愛しなさい』という次の戒めも、これと同じように大切です。」(マタイ22:37~39 現代訳聖書)

主なる神様を愛し、自分自身を愛するように隣人を愛せよと、聖書は教えています。そのためには、どのようにするのか?隣人のために、各人に与えられた賜物・能力を生かして、人々に役立つことをしていくということです。全ての人には、素晴らしい賜物、能力が、自分でも驚くほど与えられていると言われます。そのほとんどを私たちは、使ってないのです。

人生30~40年も生きてきますと、次第に自分は何が得意であるかはわかってくるように思われます。若い頃は、意外と自分の得意なことが見えてないことが多いようです。私もビジネスマン時代に、これがやりたいと思ったことが必ずしも良くできることでなく、ただ願っていただけだったと気が付いたことがあります。

人生経験を積み、失敗や成功体験をして、自分の得意なことが見えてくるのです。あるいは、周りの人の方が、その人の得意なことをよく知っており、アドバイスをしてくれるかもしれません。

それらの賜物・能力を磨いて、人々のために役立つことをする、それは若いときから心がけておくべきことではないかと思います。そのようにやっておれば、その賜物・能力が中高年になってからも活きて、体が続く限り引退は無く、新しいことへの挑戦が出来るだろうと思います。

札幌農学校の初代教頭(事実上の校長)であったウイリアム・スミス・クラーク博士が、「青年たちよ!大志を抱け、キリストにあって」と名言を残しました。人生100年時代にあっては、いつまでも何かしらのチャレンジをしていく、「キリストにあって、青年たちよ&老人たちよ、大志を抱け!」を大切にしたいと願います。

 「彼らは年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしく、おい茂っていましょう。」(詩編92:14)

 2022年2月4日 小坂圭吾