旧渋沢邸「中の家」 |
人生100年時代という言葉は、2017年ころに意識し始めました。それまでは、我が人生も90歳ころまでかな?と考えていました。2007年生まれの2人に1人が100歳以上生きるとなれば、「人生100年時代」の到来は、一気に現実味を帯びてきたのです。
これまでの人生設計は、「20年学び、40年働き、20年休む」すなわち「教育、仕事、老後」の3段階が一般的考え方でした。私は、老後ではなく第二の現役と捉えていましたが、どちらにせよ、人生100年時代を迎えると、考え方を変革しなければなりません。
平均寿命と健康寿命という言葉がありますが、この二つには、かなりの差があります。平均寿命は、0歳から死亡するまでの平均寿命を表すのに対して、健康寿命は、健康上の問題で日常生活が制限されることなく生きられる期間を指します。
健康寿命は、ザックリといえば約10年、平均寿命よりも短いのです。この差は、簡単に言えば、医療や介護に依存するような、日常生活に制限のある期間を表しています。人生100年時代とは、平均寿命がここまで伸びても、健康に生きられるのではありません。
NHK大河ドラマ『青天を衝け』
昨年のNHK大河ドラマ『青天を衝け』は、「日本資本主義の父」と称される渋沢栄一を主人公にして、江戸時代末期(幕末)から昭和初期までを描いたもので、1年間楽しく見ることが出来ました。
本人の生きざまに深く触れることが出来ればと、昨年の12月25日クリスマスに、バスツアーに参加しました。深谷市を訪問して、渋沢栄一の生家(旧渋沢邸「中の家」)や渋沢栄一記念館等に行きました。
記念館には本物そっくりの『渋沢栄一アンドロイド』があり、その風貌を忠実に再現し、言葉を通してありし日の渋沢栄一の考え方を聞くことが出来、存在をよりリアルに感じました。
彼は、実業界での華々しい活躍の後、76歳で実業界を引退しますが、民間外交を通じて、日米関係の改善に取り組む、福祉事業や教育にも力を注ぎ、なんと91歳まで現役として生涯を全うしたのです。
彼が、このように長生きをしたのは、実業界を引退しても日本を少しでも良くしたいと生涯現役で仕事をしたからであろうと、私は推察しています。
70歳代を高齢者と言わない
各企業の定年年齢は、60歳から65歳に移行しつつあり、更に勤務延長制度や再雇用制度も広がってきています。将来的に「70歳定年」が努力義務になる見込みだとのことですが、70歳くらいまでは、現役で仕事をすることがかなり当たり前になりつつあるように感じます。
70歳代で元気な人はとても多く、65歳以上を高齢者というのは、適切でないと思っています。東名高速を走っていますと、大和市のあたりで垂れ幕が目に入り、「70歳代を高齢者と言わない都市」を宣言しています。
これは、現役意識を高めて、健康寿命を延ばそうとの願いも込めたものだそうで、この宣言には、大賛成です。私も含めて70歳代を見て感じることは、昔の60歳代だろうかなと思わされます。
ですから、昔よりも10歳は若返ったような感じがしますし、現役の延長でいることが出来る期間かなと思います。ですから、80歳までは現役のような生活を送っていいのだ、その可能性がある社会になってきたのだということでしょう。
人生100年時代を健康に生きるには?
こうした人生100年時代を、健康に生きるにはどうしたらよいのか?私の周りの90歳代の人々(教会や親族等)の生き様や高齢者医療の現場に携わってきた人々の本等を読みながら、何が大切であるかを考えてみました。
高齢者にとって大切なことと言えば、身体が動く、頭もすっきりしていることですから、脳機能と運動機能をしっかり整備しておくことです。60歳代、70歳代の過ごし方で一番重要なのは、80歳以後になっても続けられるように脳を使うこと、体を使うことの良い習慣づくりをしておくことです。
それには、生涯現役で行くことです。どんな仕事でも良いので、自分の経験や知識を生かして、誰かの助けになる、社会の役に立つことをし続けることです。体が続く限り、一生続けることです。私も生涯現役と言っていましたが、途中から引退もあるかなと思うこともありましたが、どんな形にしても、気持ちを楽にして”生涯、引退はなし”と自分に言い聞かせています。
「あなたがたはこういうべきです。『主のみこころなら、私たちは生きていて、このことを、または、あのことをしよう。』」(ヤコブ4:15)
2022年1月12日 小坂圭吾