山中湖よりの富士山 |
私は旅行がとても好きですが、好きになったルーツは、大学時代にさかのぼります。大学は東京、故郷は岡山ですので、休みのたびに実家の商売の手伝い(?)に帰省です。
いつも同じルートを帰省するのは何かもったいない気がして、好奇心が旺盛な事もあり、ルートを色々と変え見てまわろうと計画しました。
大回りしても、電車賃はさほど変わりません。旅費はといえば、色々と節約して仕送りを貯めて作り、帰省の旅行計画を緻密に立て、実行することから好きになりました。
ビジネス時代は、日本全国へ仕事で出張しましたが(海外もあちこちに)、工夫して時間を作り、ついでにちょいとその地を見学、観光です。家族旅行もしばしば、子供が大人になっても一緒に旅行する一家でした。
あそこに行きたいなと思っていると、ビジネスで出張か、家族旅行で行くことになります。意思のあるところに道がある!もう15年位前、あと少しで全国47都道府県を旅行したと制覇できると気がつき、まだ旅行してない県が5つほどありました。
「あそことあそこに行ければいいな!」と思っていましたら、それから数年後に一気にその計画が飛び込んできて、全国制覇することが出来ました。
山中湖 |
「日本全国を旅して、一番印象深い所はどこですか?」と質問されれば、悩むところですが、北海道と沖縄かなと思います。なぜかと考えてみると、自分が生まれ育ったところが影響しています。
豊かな自然(山と海)そして海の幸、山の幸がまことに豊かな岡山育ちですので、その良さがありつつもまた違う側面、特にのびのび雄大な面があるところが北海道であり、沖縄です。
北海道はなぜ県と呼ばないのでしょうか?調べてみると、明治時代に本格的にこの地を開拓しようと「北海道」と名付けられ、その後、他の地方と同様に「札幌」「函館」「根室」の3県が置かれました。
がうまく機能せず、政府の直轄として「北海道庁」が置かれました。戦後に、直轄地から他の都府県と同様に1地方自治体となり、「北海道」の名前となったのです。
北海道には、数えると20数回も訪問をしています。ビジネスの出張で半分、後は、妻の出身が北海道ということもあり、家族旅行が多かったように思います。
道の駅・須走 |
心にある「霊的うつわ」
旅に出ることの良さは、いろいろあります。年齢によって、旅に求めるものが違ってきますが、若い頃は、好奇心が先立って色々なところに行くことだけで満足したものです。
中高年になりますと少しずつ変化してきて、新しい刺激を受けて気分が一新する、感動する、頭の中が整理される等々が重要になってきます。新しい刺激を受けて心が満たされるのです。
心の満たしは、聖霊によることですが、聖霊による思いは、「いのち」と「平安」であり、心にある「霊的うつわ」にこれらが満ちていると人々との関係、仕事や家族との関係、余暇の過ごし方がとてもスムースに行きます。
しかし、この「霊的うつわ」のエネルギーが満杯の状態から大きく減っていくと、いらいらが色々と起こり、物事がスムースに進まなくなるのです。
このうつわを満たす方法は、いろいろとあります。十分に眠る、静かに本を読む、デボーションをする、ウオーキングをする、人と楽しく食事や会話する、海に行く、山に登るなどなど。各人それぞれですが、自分は何によって満たされるのかを知っておくことが大切です。
心を守る
いつも心にある「霊的うつわ」をいっぱいにし続けることは難しいですが、毎日補充する知恵と工夫が必要です。毎日の減ったエネルギーを補充するには、「デボーション」であり、「礼拝」です。
複雑で多忙な毎日を過ごしている方々にとっては、デボーションの時間も十分取れないことかも知れません。そのためにも、自分は何で「霊的うつわ」がいっぱいになるか?を見出しておくと良いかと思います。
私の場合は、毎朝の家庭礼拝orデボーションで不足を満たしています。途中で枯渇するとウオーキング、ストレッチもしくは本を読む。かなり枯渇すると外に出かけるのです。
“旅に出る”のは、私にとってこのうつわの枯渇を補ってくれる最大の方法の一つです。あるいは日帰りで、海や山、温泉等を組み合わせて行くのです。(先日は、須走・山中湖に出かけました。)
心にある「霊的うつわ」を満たすばかりでなく、あるときは心の中の汚れたもの、こびりついている垢(あか)を洗うこともこの旅を通してやるのです。
旅を通して、自然や歴史や文化を学ぶあるいは地方の産物を賞味するばかりでなく、これも旅の大きな収穫でもあり、感謝しています。
「何よりも、心を守りなさい。命の泉が湧いてくるところだからである。」 (箴言 4:23 現代訳)
「心が幸福であれば、それが顔にも現れるが、心に憂いがあれば、気をくじけさせてしまう。」(箴言 15:13 現代訳)
2024年5月24日 小坂圭吾