2024年7月29日月曜日

今を生きる「あるべき姿を求める」

網走・知床原野
大谷翔平&イチロー

ロサンゼルス・ドジャーズ所属のメジャーリーガー大谷翔平選手の活躍は、素晴らしいというか、驚きというしかありません。彼の昨年度の活躍は、WBC優勝、HR王、プロスポーツ史上最高額での移籍等々、そして更に今年の驚異的な活躍ぶりは、毎日のニュースが楽しみです。

思えば、MLB時代のイチロー選手が活躍をしていた頃も、目を見張るものでした。イチロー選手の野球史上に燦然と輝く記録もさることながら、その背景にある彼の野球への取り組み姿勢が、私には一番の着目点です。

イチローのすごさは、打撃技術もさることながら、試合への取り組み方、あらゆることに万全の準備をすることです。

例えば、健康管理、けがをしないために、クラブハウスでフカフカのソファに座らないでパイプイス、それは長く座ると腰に負担がかかる。

自分をコントロールして精神的にマイナスにならないようにするために、三振しても凡退しても堂々と胸を張ってベンチに戻る。

体力作りについては、彼オリジナルの方法で厳しく鍛錬している。あらゆる面において、どうあるべきかを考え追求しているのです。

打撃技術については、アメリカのピッチャー総てが必死になって研究を重ね戦いを挑み続けて来るのですから、イチローも必死になって考え、工夫を重ねて新しい打法を編み出し走り続けたのです。

大谷翔平選手についても、このような面から、深堀されたNHKスペシャルがやがて企画され、放送されることを期待しています。

一喜一憂しない  

大谷翔平、イチローの姿を見て、私たちの日常生活に模範として取り込むには、あまりにも差がありすぎます。「どうあるのがよいか?」と常に考え実行しているプロセスでは、そこまでやるかと思うほどです。

ひと言で言えば、鍛錬と節制と研究だろうと思いますが、そのなかで参考になることも多々あります。

イチローの場合、三振しても凡退しても堂々と胸を張ってベンチに戻り、素晴らしいことを成し遂げても冷静です。自分をコントロールして一喜一憂しない彼の姿です。

私たちの日常生活の中で、とかく一喜一憂が多いのですが、どうあるべきかを教えてくれます。

あらゆる事に万全を尽くしての準備を怠らないイチローですが、「打撃と言うものには、これでいいと言う形はない。従って、答えもなければ、終わりもない。」との言葉のように、彼は、常に理詰めで考えてあるべき姿を探し続けたのです。

サルスベリ

人生の模範にならう

先日、切り抜きしていた記事の中から、こんな記事が目に留まりました。

「私は、牧会していて、つらいことがあるたびに、ハ・ヨンジョ師(韓国・オンヌリ教会主任牧師)のことをよく思い出します。生前、ハ先生の健康な姿を見たことがありません。

8回の肝臓ガン手術と、週3回の腎臓透析を受けている中でも、出来ることは全てしておられました。若き日に病にかかってから、生涯「総合病院」という別名を持って生きておられましたが、病のために精神的に弱くなった姿を見たことはありませんでした。

ハ先生は病で身体は弱くなっていましたが、それによって謙遜を学び、病を通して神様が働かれることを見たと証しておられました。」(チョ・ションミン、「リビングライフ」より)

生前のハ・ヨンジョ先生は、大変な闘病生活を送る中、出来ることを全てしておられた、素晴らしい生き様、人生の模範を示して下さいました。

少し前までですが、妻が教会と我が家で、月に2回ほど子供たちを集めて、習字教室を開いたことがあります。お手本をしっかりまねる子は、見る見るうちに上達するそうです。

習字は、いつもお手本を見て、あるいは、お手本の上に紙を置いてその上から書いていきます。そうすると間違いなく腕があがります。模範・お手本と比較をして、違いを見て改善していきます。

私たちの人生のあるべき姿は、聖書にその模範があります。パウロは、「私にならう者となってください。」(コリント4:16 新改訳)と言っています。

パウロと比較して自分を見て、その至らなさに着目ではなく、パウロの信仰にならおうというのです。

模範を見て、自分の出来ることをやっていく。自分は自分でしかなく、模範にならいつつ自分らしさを発揮しながらやっていくのです。

イエス様や使徒たちの模範を見て、自分の足りない部分については、主の助けをいただきながら改善をし、イエス様にならう者として励んでいきたいものです。

「このように、主であり先生であるわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた、互いに足を洗うべきです。わたしがあなたがたにした通りに、あなたがたもするために、模範を示しました。」(ヨハネ13・14-15 現代訳)

2024年7月29日 小坂圭吾