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| 箱根・彫刻の森美術館 |
80歳代にして五十肩(左肩)に、いまだに悩まされています。7月下旬、連続二日間の運動に励んだ所、どうやら肩を痛めてしまいました。重症ではないので、湿布を貼って過ごしていました。
自分でいろいろと工夫して痛みを和らげようとすること約1か月。これはだめだなと思い、整形外科に行きました。診断は五十肩で、初めての経験です。
軽い仕事はそれなりに出来ますが、重いものを運ぶことは敬遠しています。五十肩の痛みが走ると、小さな動きでも「痛っ!」となります。治療を1か月続けても今一歩で、夜、寝返りをすると痛みが走り、困っています。
このブログを書きながらも、時に肩を動かすと、痛みがゆっくりと広がります。体全体の動きは良くなりつつありますが、肩の痛みは、走ったり歩いたりするように、なかなか去ってくれません。
「これは3か月、いやそれ以上を覚悟かな?」と思いつつ、2か月半が経過しようとしています。
書斎の聖句
私の書斎には、「すべてのことについて、感謝しなさい」という聖句が掲げてあります。毎日の生活の中で、「感謝できることに感謝する」のは簡単だと思います。
では、感謝できないこと、嫌なことにも感謝できるでしょうか。病気、失敗、予定外の出来事、人間関係のトラブル、思い通りにならないこと……。「こんなこと、どうして感謝できるのか?」と思います。
「すべてのことに感謝する」とは、「すべてのことが良いことだ」と考えることではありません。嫌なことは嫌ですし、辛いことは辛い、痛いことは痛いのです。私は痛いのが嫌で、五十肩の痛みには敏感に反応するようです。
嫌なこと、辛いこと、痛いことまで「良かった、良かった」と無理に肯定するのではなく、「この出来事の中にも、神が働いておられるのではないか」と、その背後におられる神に目を向けることだと思います。
そうすることによって、感謝が生まれてくるのではないでしょうか。
聖書の中で感謝の人を挙げるとしたら、ダビデを挙げたいと思います。ダビデほど、苦難と逆境を経験した人はいないでしょう。
幼い頃には兄たちからいじめられ、羊飼いとして過ごしていました。預言者サムエルによって油注ぎを受け、イスラエルの王として選ばれた後、ダビデの人生には、完全に王の地位に就くまで、何年間もいばらの道を歩かなければなりません。
サウル王の嫉妬心から命を狙われ、逃げ回ります。ほら穴や荒野、隣国にまで身を隠し、逃亡者として生きなければならず、ある時は、気が狂った振りまでして危機を逃れました。
王になってからも、息子アブシャロムが反逆し、長い間、息子に追われることになります。
このような苦難と逆境の中でも、ダビデは祈り、神様に拠り頼みました。苦しい状況の中で、その背後におられる神様に目を向けたのです。
周囲の状況が喜べるものでなくても、神に目を向け、神が働いてくださることを信じ、小さなことにも感謝する知恵を発揮していたのではないでしょうか。
「主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。」
(詩編136:1)
ダビデは、神様から「わたしの目にかなう」と評価されました。それは、どのような状況にあっても、神様に信頼し、感謝をささげる姿勢を持っていたからではないでしょうか。
今回のテストは?
五十肩の痛みも人生のテストですが、ここで感謝できることは何だろうかと考えました。辛い痛み等の時、感謝できることは何だろうと考えたことは、無かったかもしれません。
感謝とは、神を信じるからこそ出来る、どんな出来事の中にも神がおられると信じることから、感謝が生まれるのだと気づかされます。
感謝できることは、ほとんど普段どおりに動けていること、激しい動きや両手を自由に使うことはできませんが、スポーツは、ウォーキングならOKです。
この夏から秋にかけて、天候は近年になく不順でしたが、けがのため、あまり動けず、静かに過ごすことができたのは幸いでした。五十肩の痛みは、できれば早くなくなってほしいものです。
しかし、この痛みを通して、嫌なことの中にも感謝を見いだすという、信仰の大切な学びを与えられました。これからも、どんな状況にあっても神様に目を向け、感謝する心を持ち続けたいと思います。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことに感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」
(Ⅰテサロニケ5:16~18)
2026年10月21日 小坂圭吾


