南北戦争を見た木
今から20年あまり前ですが、私の所属する聖書キリスト教会・東京教会の会堂建設(千人会堂建設)のために、韓国とアメリカの教会を訪問し、その模範から学ぼうということになりました。韓国教会を訪問する時は、研修旅行として教会員の方々と一緒に訪問しました。その後、アメリカ教会訪問をするには距離が遠いことや見学範囲が広いこともあり、会堂建設企画委員だけで行く事にしました。
アメリカでは、アトランタにある日本人教会にお世話になり、アメリカ南部の教会の案内をしていただきました。その時、日本人の教会員の方の家に宿泊させていただきました。アトランタの郊外にある、ゴルフ場に隣接したアメリカらしいすばらしい家でした。そこにある庭に、大きな木が1本ありました。私は、思わず「この木は、南部戦争を見たのでしょうか?」と聞いたところ、「当然、この木はその戦争を見守ったことでしょう」との返事でした。その時は、奴隷制度をめぐるアメリカ北部と南部の利害の不一致、リンカーンが大統領に選出されると対立が激化しやがて南北戦争に発展した経緯等を詳しくは知りませんでした。世界史を学ぶようになって、奴隷制度の悲惨さと解放がどれほど必要なものであるかを、理解しました。
アトランタのハナミズキ
アトランタにある教会や町をめぐりながら、時々南北戦争の話が話題に上りました。この辺りが激戦地だったとかの話が、それとなく残っています。ストーンマウンテン公園(写真左上)には、世界最大の岩山があり、そこに南軍の英雄3人が彫られた世界最大のレリーフ、彫刻があります。
アトランタの町には、いたるところにハナミズキがあります。“ハナミズキの花は、十字架を象徴している”ということは、アメリカで知りました。花自体は、桜よりもはるかに大きく、4枚の花びらが白か薄紅色に染めあがり、実に見事です。この4枚の花弁はそのまま十字架を連想させます。
言い伝えによると、この木自体が十字架に使われたということです。ハナミズキは大木にはなりませんが、2度と悲しい役目を果たしたくないので大きくならないと言われているとかー。東京教会の献堂式には、アメリカの教会からこのハナミズキが贈られて、玄関前に植樹してあります。もう15年になりますが、かなり大きくなり、困難にもめげずしっかり教会が建て上げられるようにと見てくれているようです。
挫折を乗り越えて
リンカーンの生涯に戻りますが、彼は実に多くの困難と挫折を味わいながらも、決してくじけないで信仰によって立ち上がり、オバマ大統領もあこがれる素晴らしい人徳と業績を残す大統領になりました。「失敗と不幸」という文字を嫌というほど味わいながらも、それを次の礎石として用いたのです。母をなくす、次男・三男を失う、事業に失敗(2回)、婚約者を亡くす、州議会議員選・落選(2回)、下院議員選・落選、上院議員選・落選(2回)、副大統領選・落選等々。また、彼は、小さな田舎町で生まれ、大統領になるまでに多様な職業を経験しました。農夫から始まり、船乗り、土木作業員、商売人(店員)、軍人(民兵大将)、郵便配達員(局長)、測量士、弁護士そして政治家(州議会議員、下院議員)、そして大統領です。このように書いていくだけでも、私ならもう途中で折れていることでしょう。
これらの経験は、政治家として国民に仕える時の助けになりました。「決してあきらめない!」このような言葉では言いつくせませんが、とにかく、彼はあきらめないのです。奴隷解放の戦いにおいても、七転び八起きの信仰により、困難が訪れるたびに慰めと力を得る聖書のみことばを愛し、すべてのことが働いて益となることを信じたのです。
特に、大統領となって南北戦争を指揮する中で、愛と忍耐を持って神に頼り祈るリンカーンの姿が、胸を打ちます。南北戦争は、真理のために戦ったのですが、兵器や武器、そして作戦力等多くの面で劣勢でした。特に南軍には偉大な名将がいて、すべての面で南軍が優勢であったが、軍配は北軍に上がったのです。これは、リンカーンが祈りの人であったからです。ホワイトハウスにおいて、戦地の最前線部隊のテントに留まりながら、主に祈ったリンカーンの姿がありました。
戦争が終わった後で、リンカーンはこのように告白しています。
「北軍の勝利は、祈りの勝利でした。私たちは、南軍のロバート・リー将軍のような名将がいなかったことは、むしろ良いことでした。なぜなら、祈りによって神様にさらに頼ることができたからです。」
「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を超えた大いなる事を、あなたに告げよう。」(エレミヤ33:3)
2010年6月18日 小坂圭吾