2012年7月17日火曜日

喜び「平凡な中に感動を!」

     青葉写真倶楽部
長い間続いている趣味と言えば、「写真」です。どうして写真が好きになったのかは、確かなことが思い当たりません。それほど研究熱心でもなく、ただ旅の記録、家族の記録を残すことが目的のようなものです。したがって、作品としての写真を意識して撮ることはなく、良いものがあれば、このブログに掲載をする程度です。

5月にふと「写真教室にでも行こうかな?」という思いが起こりました。写真撮影の技術をしっかり学んでおきたいと思ったのです。写真教室について探し始めたところ、地元の地区センターが共催で「青葉写真倶楽部」が募集していて、即座に応募します。定員をオーバーして「抽選の結果外れました」とのハガキ!その直後に、欠員が出たのでOKとの電話が入り、これには感動!腰を入れてやろうと学び始めました。講師は、地元の元校長先生でなかなかの腕前の方、セミプロいやプロといってもよい方です。通常はコンパクトカメラ専門で撮影していますが、教室に入ってから、一眼レフカメラを持ち出して、初心に帰って学び始めています。1年後くらいには、作品としての写真が撮れることを願っています。

     写真には「言葉」がある
写真を撮って思うことに、見た目には素晴らしいと思うお花、光景でも、写真を見ると平凡でどういうことなし、つまらないという写真があります。記録写真と言う目から見れば、それで良い面も多くあります。あんなに素晴らしいと思うお花でも、良い写真にならないのは、どうしてなのでしょう。写真を撮る時に大切なことは、“写真には言葉がある”ということ。自分が撮った写真を人に説明できるように物語性を考えながら撮影するようにと教わりました。かつて自分が撮った写真の中で、それなりに良いと思う写真は、自分なりの説明がしっかりできる、物語があります。そこには、自分が感動している事柄があるのです。

先日、青葉写真倶楽部で“ハーブ園”に写真撮影に行きました。私には、どうにも平凡な写真しか取れそうにありません。頭でわかっていることは、光と背景を考えながら、お花が美しく見えるアングル(角度)を探す、うまい構図を作ることに尽きるのですが、それを見つけることが出来なません。先生が撮影された構図とアングルを見せていただき、そのように構えてファインダーを覗いて見ると、なるほど素晴らしい!平凡に見えるハーブ園でも、しっかり見て良い構図を作ることができる、そのような目を養い育てることが重要だと体験しました。

     平凡の中に感動を!
ほんとに素晴らしいお花や光景に遭遇しますと、良い写真が撮れる可能性は高いともいえるでしょう。しかし、平凡にしか見えない中にも、光、背景、目的、アングル、構図等を十分に考えながら撮影をして行くときに、見る目と技量が養われていれば、一幅の素晴らしい写真を撮ることができるに違いありません。私にとっては、学びが始まったばかりです。

芸術に関して、私の関心は、低かったように思います。「やっと絵心に関心が出て来たのね?」と周りに軽口をたたかれますが、その通りです。「小学校の頃には、岡山県の絵の展覧会で特賞を取ったことがあるぞ!」と言い返しながら、写真を通して芸術の世界に入門(?)と言うところです。“単なる写真ではなく作品としての写真”を撮ることは、平凡にしか見えない中に、私ながらの見る目と技量を持って、芸術作品を作ることでもあります。

私たちの毎日の生活は、平凡なことの連続かもしれません。みんなが見逃してしまう事、当たり前と思っている事、不平を言う事の中に、意味のあるものを見出し、当たり前を輝かせて生きていく。不平を言う代わりに、この苦しみもまた感謝であると、見出すことができる心を養っていく。それは、写真を撮る時の心構えとある一面では同じようなものを感じます。日頃の平凡な生活の中にこそ、意味あるもの感動できるものを見出せることができるように、心を養うことが出来ればと願います。

 思えば、あのパウロがローマの獄中で書いた手紙「ピリピ人への手紙」を思い出します。彼は、投獄の身でありながらも喜びにあふれていたことが分かります。誠に驚きと言うほかありません。そのことも思いながら、平凡な中にも感動、喜びを見出していきたいものです。

「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」(ピリピ4:4)

2012年7月17日    小坂圭吾