2013年10月28日月曜日

今を生きる「この一事に励む」


    
         別れを惜しむ

先日、知人Kさん昇天の悲報をメールで知りました。彼は、1年ほど前に手術をされ、その後元気になられたなと感じていましたので、突然のお知らせでビックリです。近くの教会で葬儀告別式があり、出席しました。彼とは同じ会社に勤務し知り合いでしたが、『人生を導く5つの目的』の本を仲立ちにお話をする機会が増えました。
 
発売後すぐにこの本を紹介したところ、「素晴らしい本なら、自分で購入して読みます」と言われ、一所懸命に読まれました。読み終えて間もなく何冊も購入され、色々な人に配られたのです。そのとき、教会がまだ決まってなかったので、クリスチャンの知人Nさんを紹介し、その教会に出席されるようになりました。クリスチャンホームに生まれ育ち、長い間求道された彼でしたが、1年後には受洗され、ほんとに幸いな教会生活であったと感じています。葬儀の時に個人の略歴が紹介されますが、彼は、人の世話を色々な場面で惜しみなくされた方であったことを思い起こしました。ですから、多くの方々が告別式に出席され、別れを惜しみました。

   長い目で考える

人生は長いようで短い、まだ先は長いと言いながら、あっと言う間に月日は経過していきます。オリンピックまであと7年とは言え、あっという間の期間でしょう。昨今、ふと考えさせられるのは、今重要だと思っていることが、510年後に思い返してみると、さほど大事ではないということがあるということです。色々と頑張ることは、あるいは良いことでしょう。若い時は、とにかく頑張ることが大切かもしれません。神を信じる者として、「神はすべての事を益としてくださる」と信じる者ですが、さりとて、その頑張る内容も吟味が大切で、5年後、10年後を考えてほんとにこの事が重要なのかと考えてみることではないでしょうか。さほど大事ではないと思うことに、意外と熱中しているものです。

    パウロの生涯 

この4か月間ほど、ゆっくりと「使徒の働き」を学んでいます。家人と一緒にやるには、「使徒の働き」が一番良さそうだと思い、7月からはじめてもうすぐこの書の学びが終わります。家人と二人でこれほどじっくりと学んだのも初めてで、「継続は力」、霊的に整えられていく事を実感します。

特にパウロの生き方について深く学べば学ぶほどに、感動を覚えさせられます。彼が生きたその模範は何かな?と考えた時、思い出した御言葉はこれでした。
「私は、-- ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の栄冠を得るために、目標に目ざして一心に走っているのです。」(ピリピ3:13-14)


パウロが“この一事に励んでいます”と言うところは、まさにキリストの証し人として、どんな境遇にあろうとも、十字架と復活のキリストを述べ伝え続けた生涯です。パウロの3回にわたる伝道旅行とローマへの旅を読むにつけ、異邦人の使徒としてその生き様が私たちの心に刻まれていきます。

この書を読みながら、じわじわと迫ってきた事は、パウロがどんな時(苦難と迫害)であろうとも、福音を伝えることを臆することなくしたことです。福音のための壮絶な戦いです。今流にいえば、スーパースターだから出来たことでは片づけられない何かを私たちに教えてくれます。パウロの生きざまを、私たちの生き方にくらし方に生かすことは何だろうかと考えてみますと、“ただ、この一事”という言葉が響いてきます。生涯にわたって、異邦人伝道のために一心に走り抜けた人生、この一事にかけて走り抜いたパウロの生きざまに感動を覚えます。

 「一生は短い。葬儀告別式の時に、どのような式辞を言ってほしいかを考えなさい。」と若い頃の社員研修の時に考えさせられたことがあります。何をどのように書いたか記憶にありませんが、「彼は、この一事に励んだ」と言われる人生を歩みたいものだ、と改めて考えさせられています。

2013年10月28日     小坂圭吾