箱根大観山より芦ノ湖を望む |
聖書を読んでいますと、「神のみ言葉」であると信じていても不思議な事だなと思うところがいくつかあります。神様のなさることなので、それが真実であろうと受け止めているところが、科学の発展により、その奇跡の証拠が示されますと、「やはりそうだったのだ。聖書の言葉は確かだな。」と感じるのです。
今回取り上げるのは、“まる1日24時間太陽が運航を止めた”という聖書の記述です。具体的には、次の通りです。①
ヨシュア記10章12‐14節、ヨシュアが主に大声で祈ると、イスラエルの民が敵を絶滅してしまうまで、太陽はほぼ1日天にとどまったままで、動かなかったとあります。②Ⅱ列王記20章8‐11節、ヒゼキヤ王の要請に従って、預言者イザヤは、日時計が10度あとに戻ることを祈ると、主はそうされたとあります。
この二か所を読むと、主は不思議なことをされるものだと思います。
消えた1日
アメリカのインデイアナ州の新聞『勝利の生活』に「どうしたら消えた1日を見つけることができるか」というタイトルの記事が掲載されました。
1960年代の始め、アメリカ大統領の命令により、月に人間を着陸させるための研究が、NASAで盛んに行われていました。月に着陸する時間を計算するために、宇宙科学者たちは、今から100年後、または1000年後の太陽と月、または星の位置を知るために徹底した計算をしなければなりません。
それまでに発見されている小惑星や遊星の軌道を計算し、人工衛星を打ち上げたときにそれらがぶつからないようにするためです。
ある日、科学者たちは、正確な時間を測定するために過去から未来までの時間を細かく区切ってコンピューターを作動させていた時、突然、コンピューターが止まったのです。時折、入力した資料に問題があるとか、出力された結果がほかの値と大きな誤差がある場合、コンピューターが止まることがあるのです。
札幌大通り公園の日時計 |
コンピューター技術者が言うには、「コンピューター自体には、何の問題もなく、正常です。コンピューターのプリントアウトによると、過去のどこかで、24時間がなくなっていると出ているのです。」全員で、資料を再検討し再入力もしてみるも、結果は、同じでした。論理的な説明や解答を見つけることができません。
みんなが困り果てていると、クリスチャンである科学者の一人が次のように言いました。「私が日曜学校に通っていたころ聞いた話ですが、旧約聖書の時代に太陽が一日止まったというのです。」みんなは半信半疑でしたが、聖書の内容を確認してみました。
それが前に記した①ヨシュア記10章12‐14節です。聖書に出てきた事件を参考に計算してみますと、ヨシュア記で太陽が止まっている時間は、ほぼ1日で、23時間40分でした。まだ説明できない40分が残っていました。
みんなが頭を抱えていると、クリスチャンの科学者が、別の聖書の箇所②Ⅱ列王記20章8‐11節を思い出したのです。10度とは、正確に40分を意味します。
①
と②を合わせると、宇宙科学者たちが説明できなかった“消えた1日”を、正確に説明することができました。
半信が事実に!
この記事を読んだときに、当然ながら、「聖書の記事は事実だったのだ!」と感動しました。私は、聖書記事については、神様のなさることだから真実であると信仰的にそのように受け止めています。半信半疑ではなく、疑ってはいなくても半信だった部分もあるかもしれません。このNASAの宇宙科学者たちは、“消えた1日”を聖書の中で奇跡的に見つけて喜んだように、私も大いに喜びました。
実は、この記事は、「I LOVE 聖書」(ジョン・クアウン著、小牧者出版)より引用させていただきました。聖書を愛する方々には、ぜひお読みになることをお勧めします。聖書に対する視野が、さらに大きくなることでしょう。
2015年8月8日 小坂圭吾