2019年3月5日火曜日

人生の目的「あなたの人生の原動力は、何ですか」



錦帯橋
人生100年時代

昨年の初めくらいから“人生100年の時代”と言われることが多くなり、これに関して見聞きしたり、読んだりすることも多くなりました。昨年いただいた喪中のはがきの大多数は、90歳代です。このような時代にあって、人は何に動かされて生きていくのか、あなたの人生の原動力は、何でしょうか?

原動力は、人によって様々です。人を駆り立て、その人生を動かす要因になっているものについて、ネットのブログで見ました。「さみしさ」「嫉妬」「劣等感」「怒り」「罪責感」「恐れ」等々いろいろと出てきました。現代では、「お金」が原動力の方も多いかもしれません。

あるいは、「認められたいという願望」が幼い頃の体験から原動力になっている方も多いことでしょう。全く違う観点では、「家族」のために頑張るも原動力になり、「プロ意識」もそうですし、実に様々だろうと思われます。

原動力は育てるもの

世界中の色々な著名人のバックグラウンドを読み聞きしますと(5分間人物伝等もあり)、壮絶な人生を走り抜いてきた人たちだからこそのパワーが感じられます。その方々の原動力の強さは、すごいものがあり、過去の壮絶体験を上手に原動力に変えられた人、そのように変える能力を持っていた人だという事も出来ます。

一方、私も含めてそのような経験がない人も多くあり、そのような体験が無くても強い原動力を手に入れることはできるはずです。多くのケースを見てざっくりと言えるのは、その人の育ってきた環境の中で起きた体験が、何かしらの原動力になっていることが多いようです。

様々な環境、価値観、感情が変化する中で、私を駆り立てるものが芽生え、育ち、強化されていくのでしょう。誰しも自分の生きる原動力を見つけ、育てていく能力を持っているともいえます。

原動力は、やる気とは違うようで、一度得た原動力はそうは簡単になくならないもので、自分を活性化させてくれる車のエンジンのようなものでしょうか。一つとは限らず、二つあるいはそれ以上あるかもしれません。

私もこのように書きながら、昔から変わらない主たるエンジン、原動力は、そのままありつつ、新たに加わり、あるいは変化しているように思います。人生100年時代には、第二の人生は50歳からあるいは60歳からとしますと、学びを通して新しい人生の原動力を手に入れることは、可能です。

私たちは“生涯学び続けること”を通して、自分の興味を広げ、このことに打ち込もうとの種を見つけることが出来ます。「学び」が新しい人生の原動力ともなりえるでしょう。



その原動力の目的は何?

原動力の中には、私たちの人生を行き詰らせてしまう要因や、素晴らしい人生へと展開していく原動力となるもの色々です。私たちの人生がやがて行き詰まりとなるような原動力、例えば、「お金」はどうでしょうか。それを獲得したからと言って、必ずしも幸福にはつながらないのは、しばしば言われることです。

「恐れ」とか「嫉妬」とか「怒り」等々の感情の場合、それをどのように受け止めて原動力にしているかによりますが、うまく打ち勝って良い方向に持っていく原動力にしなければ、心の中でそれを繰り返すばかりで、その傷をさらに自分が受けることになりかねません。

波瀾万丈な人生を走り抜いてきた人たちは、過去の体験をうまく原動力に変えられた人であると書きましたが、その体験をいかにその人にあった原動力にするかです。人生の原動力というからには、「私は何のために日々駆り立てられて生きていくのか?」を考えることではないでしょうか。

「お金」が原動力になっている場合、その目的をどこに置いているのか?ただ自分のためだけか、他の人のため、社会の人のためを考えてのものかによって、駆り立てられる方向が全く異なるのではないでしょうか。

要は、人生の原動力ですから、「人生の目的を捉え直して考える」、神を抜きにしての人生ではなく、聖書の神さまを中心において考えますと、つらい体験から来た要因も、プラスに代るものになりえるのです。

“何のために”を考え抜いていくと、今まで捉えていた原動力が、意味が異なってきて、より深くより広がりがあるものになり、原動力が変わることになるかもしれません。聖書の神さまの視点から、自分の人生の原動力を見直しされると新しい発見があることでしょう。

2019年3月5日 小坂圭吾