休暇と言えば2週間
NHKテレビ番組で、オーストラリアへの旅を題材にした英語番組を見ていました。この国では、休暇と言えば2週間は取るのだと知り、日本以外の先進国では、それが当たり前なのでしょう。数年前にカナダ・バンクーバーに10日間旅した時、地元の人に「ちょっと短いですね。次回はもっと長い休暇で来てください。」と言われたものです。
今月、海外からのお客さんがあり、旅人をもてなそうと色々とお世話をしました。彼らは、2週間の休暇を取って日本滞在中に4か所の宿泊先を移動しながら、旅をつづけました。精力的に動いている彼らを見ると、あまり疲れを感じている様子もなく、旅を満喫して帰国しました。
若さの違いもあるでしょうが、なぜだろうかと考えて見ました。少し前に読んだ本で「もっと鈍感になろう」ということを考えていた時でしたので、これと関係するだろうかなと推察しました。
鈍感になる
旅人の彼らの姿は、いい意味で「鈍感になる」ことではないかと思わされたのです。ここでいう「鈍感」とは、にぶいとか、グズグズしているということではありません。鈍感になるとは、小さいことでクヨクヨしない、どうでもいいことで落ち込まない、ちょっとしたことで悩まない、失敗も仕方ないと割り切れる、大舞台でも緊張しないとか~~人生をスイスイと楽しく生きていくこと、自分らしく大らかに生きていくことです。
彼らは、細やかな配慮と感受性も高く、礼儀正しく、それでいて何か大らかでゆったりとした所が感じられます。彼らの人柄をそれなりに知っていますので、この“鈍感”について話題にして尋ねてみました。わかったことは、場合を考えながら選択をしているとの返事でした。ケースバイケースで、うまくスイッチを切り替えているのです。
彼らは、そもそもおおらかでゆったりした面があり、それができるのでしょう。それとなくわかってきたように思われます。私はと言えば、あらゆることに配慮しすぎていると周囲に言われることがあります。ですから、「もっと鈍感になろう」と思索していたのでしょう。
図太く鈍感に
小泉純一郎元首相が、安倍内閣の自民党執行部に対して「政治の世界では、『鈍感力』が大切だ」と言って、支持率低下に一喜一憂していたことについて“げき”を飛ばしたことがあります。普段あまり「鈍感であること」の大切さを考えたことがなく、今回のことが引き金になり、単に鈍感になるばかりではなく、「神に信頼して、図太く、鈍感な自分になろう」と願わされています。
すべてのことを完璧にやろうとする一般的日本人の強さを、私も少し備わっているようですが、今一つ大らかにゆったりとした生き方が少ないかなと思います。そのわが身を振り返り、小さいことでクヨクヨしない、図太く鈍感に歩んでいけるように、神に助けを求めていきます。
かつて、ビジネス時代に培ったあらゆることを完璧に、時間は守る等の癖が、自分自身と周囲を疲れさせているかもしれません。日常生活の中でも、鈍感になって大らかにゆったりと歩むことを意識してやっていくことが大切です。神に信頼して、神の手の中ですべてをゆだねられる信仰を磨いていけらたと思わされています。
2016年10月24日 小坂圭吾