2022年7月4日月曜日

感謝「苦難・ガンと闘う(その3)」

 

あじさいの寺
食道がん手術

大変だった抗がん剤治療2サイクルのところを1サイクルにしてもらい、いよいよ食道がん手術となります。コロナ禍ですので、私は自宅待機し、手術前に電話をしてお祈りをしました。

その日は、自宅で一日中、1時間に一度くらい祈りながら過ごしました。このような過ごし方は、神学校のリトリート以来のことです。病院で待機するよりは、家で落ち着いてお祈り等をして過ごせた1日でした。

がん治療も、日進月歩で割腹することなく出来る時代になりましたが、それでも、大部分の食道や胃を切り取るのかと冷静に考えると大変な手術でした。

9時から19時過ぎまでかかり、終了してから、メスを入れて下さった医師からの電話が来ました。「目で見る限り、がん細胞の全て取り除きました!」との声に、ホット安堵しました。ICUでの5日間が過ぎて、一般病棟に移りました。

教会の知人・I兄ですが、がん手術で割腹手術をされ、その傷跡をスマホに撮ったものを見せて説明してくれました。

「僕は、こんなに大変な手術を受けましたが、今は、こんなに元気です。奥様のためにお祈りしています。」と何度か話を聞かせてもらい、元気をいただきました。彼の手術を聞かされ、確かに日進月歩していることを実感しました。

LINEによるコミュニケーション

入院してから、妻とのコミュニケーションは、LINEを使ってのやりとりです。短いコメントだけでなく、写真や、Yutubeに掲載された礼拝メッセージや聖歌・讃美歌等をはじめ、本人に役立つだろうと思うものを色々と送るのです。

入院生活が長くなるとかなり弱っている時もあり、元気の良いYutubeの内容は、適当でないことがわかる等、試行錯誤が続きます。

「元気つける言葉、素晴らしいとの言葉は不要である。ただ事実だけを言ってほしい。」と言われたときは、弱い病人に対する配慮の足りなさを思わされます。


相手の状況もほとんどわからず、言葉だけでのやりとりですから、なおさらです。人の心の痛みを理解する、苦しみの人をどのように慰めたらよいのか、新たな経験の積み重ねです。

彼女は、ICUから一般病棟に移り、始めて食事をしたとき、「手術後、初めて重湯を食べた時は、本当にうれしかった」と後日語ってくれました。

この2か月あまり、のどに詰まりほとんど食べられなく、忍耐した日々でした。入院中に食事の時間になりますと、周りの人々に提供される食事の良い匂いに絶えられず、病室から出て一人他の所でその時間を過ごしたそうです。

早く手術をしてほしいと何度も言っていましたが、このつらさは、体験者でなければ言えない事かと思います。

最もがんにかかりにくい人

私たち家族にとって、最もがんにかかりにくいと思われた妻が入院して手術をすることになり、マサカもまさかの出来事でした。健康面で色々と考えてみるに、妻は十分に心がけていましたし、病気をしない、医者不要だったのです。

突如そうではないということがわかり、本人も私たち家族にも、神様の深い意味があるのだろうと考えさせられます。

渡辺和子さん(岡山・ノートルダム清心女子大学の元学長、カトリックのシスター)が、岡山・玉島教会・河野進牧師からいただいた詩を紹介しておられます。(Yutube「キリストの香り・どんなことにも感謝しなさい」)

「天のお父さま、どんな不幸を吸っても、はく息は感謝でありますように。すべては恵みの呼吸ですから。」

彼女が読むこの詩に、心動かされました。人生には、様々な不幸が押し寄せてきますが、すべては恵みの呼吸ですからとは、どんなことにも感謝しなさいと聖書にある通りで、感謝できる理由がここにあると言っても良いのかもしれません。

渡辺和子シスターは、この詩に感動され、大学の正面玄関に飾り、生徒たちにもこのことを教え続けられたそうです。

幸いなことに、妻は、手術後の経過も良く順調に回復をして、2週間余りで退院しました。今自宅で、療養を続けています。

これまでのガンとの闘いは、それと分かるまでに約2か月、入院して検査、手術そして退院まで約2か月半弱、退院後今日まで約2か月強になりますが、大変な山が3つ4つあったように思います。

多くの方々の祈りに支えられて来たこと、かつ医療関係者の方々に、心から感謝申し上げます。

「あなたがたの会った試練は、みな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に合わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」(コリント 10:13)

いくつかの試練を本人と共に乗り越えられたのは、主が用意された脱出の道があったからです。高齢でガンというかなり厳しい試練は、私たち夫婦にとって、家族にとっても、恵みもまた多かったなと振り返ることが出来ます。

妻の完全回復には、あと数か月くらい必要かもしれませんが、この経験を他の人のために生かすことが出来ればと願っています。マサカの出来事は、主にある限り、それも恵みであり、謙遜になる出来事であり、成長の糧でもあり、人生の味付けなのかなと思います。

個人的には、神様との関係がより密になったことが最大の恵みであったと思います。

2022年7月4日 小坂圭吾